今の時代、町会議員のような地方議員に「地域利権の代弁者」「地元に利益誘導する存在」という役割は、ほぼ消えつつある。にもかかわらず一部の有権者がそういった誤解を持ち続けるのは、国会議員と同じようなイメージで混同していることが原因の一つだろう。
そういう誤解は「議員個人」と「集合体としての議会」の区別さえできなくなる恐れもある。このように有権者の基礎的な認識が間違っていれば、当然ながら地方議員や地方議会への批評や監視の目もおかしくなってしまう。これが地方議会の衰退の一因かもしれない。というところまで前回説明した。
さらに「過去の歴史の背景」がそういった誤解を生んでいる面もある。他の町村で聞いたずっと昔の話だ。かつて町会議員とは、まさに「地域利権」の代弁者だったらしい。いかに多くの税金を地元に還流させるかが仕事であり使命であったと言われる。
住民は行政の動きを知りたくても、当時はその手段が少なかった。また、町への要望があっても、行政の仕組みや手続きは難解で複雑だ。住民は戸惑い、声をあげることに躊躇して消極的だったらしい。
こんなとき「地元議員」はとても有効で役に立つ。地元住民の朴訥で飾り気のない語り口でも、本音や言い分を聞き取って理解できる地元の議員。住民にとっても顔見知りだから遠慮なく話せる。そこには地縁血縁も大きく影響しただろう。
地元議員はその地元住民の声を翻訳して、行政に効果的に伝わるよう変換する。町内のどこよりも優先して、我が地元地区に税金を投入すべきだ、と理論武装をして主張する。地元への利益誘導のお手本のような行動だ。
町側とのそういう複雑な交渉経緯や結果の見通しなどの情報を、地元議員は地元住民にわかりやすく翻訳してフィードバックする。「町政報告会」などと銘打ったこの往復の繰り返しが、かつての議員個人のメインの仕事だったそうだ。
こういう機能があるので、議員の選出は厳然と「地区割り」されており、有権者には暗黙の了解事項だったとのこと。本人の信条や政策で議員を選ぶのではなく「おらが地域から議員を出す」のが最優先の選考基準だったという。
かくして多くの(もちろんそうでない立派な見識を持った議員もいただろう)議員が似たような地元志向で行動していたそうだ。しかし町会議員とは、そもそも町全体の視点で議論するのが仕事だ。だが実際には「おらが地元地区を優先してくれ」と各議員それぞれが主張する。
国会議員に例えたら分かりやすい。彼らは国家の問題を議論するのが本来の仕事だ。税法や福祉、経済や外交などなど。国会議員たちが国の視点で議論すべき課題よりも、それぞれが「おらが県に道路を作れ」「新幹線を通せ」「空港が欲しい」そんなことばかり主張して騒いでいるとしたら・・・そんなイメージだろうか。
こんな状況では間違いなく議論は空転し、最悪の場合は町政業務が滞る。そこで地元への利益誘導を叫ぶ個人議員たちの「利害関係」を調整する人物が必要になる。要望の優先順位を決めると同時に、優先度に不満が残る議員には相応の別の果実を分配(賄賂ではない。誤解のないように)する。そういう交通整理ができる「調整役」が必須となる。
聞き調べた範囲では、この「調整役」を担っていたのは「行政トップである町長」というケースが多かったようだ。次いで語弊があるのを承知でわかりやすく言えば議会内に「ボス」や「ドン」がいて、調整役をしていたケースだ。各議員の利害関係を調整して、行政側(=町長)が受け入れやすいような「アメとムチ」を提示する。そんな交渉をできる人物が実効支配していた事実もそれなりにあったらしい。
一方、町長には「町全体」という視野で進めるべき教育や福祉などの仕事が山積みだっただろう。国や県から受託している仕事も多い。これらは着実に遂行しなければならない。
町長にしてみれば、町全体の視点で進めたい事業にも議会の「決裁、承認」が必要だ。この種の仕事は、議会からの異論や反対が出ないようにスムースに進めたい。そのために各議員の地元利益誘導の主張をどうやって処理してさばいたか、言わずとも当然のように推測できる。
過去の「地元議員個人」と「町長」と「ボス」との三者の間にそんな関係や折衝があったことを批判するつもりはない。そういう過去の事実があったようだというだけだ。そしてこの時代を知る、この世代で恩恵を受けた地域住民にとって、議員個人に対する存在価値は、ズバリ「地元への利益誘導」できるかどうか、ということに他ならない。
そんな住民たちも年を重ね、時代の変化を感じる。今どきハコモノやインフラ誘致は時代にそぐわないと理解はしているようだ。しかし「オラの声を聞いて町に要望する」のが地元議員というものだ、という過去の認識のままという住民も少なからずいる。このように現代の議員個人の仕事と役割について、全くアップデートされていない層の塊は今も実在するようだ。
つまり、議員への「地元に利益誘導するのが当然の仕事」という誤解は、過去の経験による影響も大きい、ということだ。こういう誤解はどんなことでもあり得る話だ。だからこそ、この掲載のような何かのタイミングで、積極的に自覚して認識を新たにしてもらえれば幸いだ。
念のためにもう一度言及しておく。この過去の話は「松川町」のことではない。どうか誤解無きよう願う。
(はこべ12月号に掲載。次号へ続く)