広報のあり方

 新しいブログを開設しました。

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「非公式!松川町議会AIダイジェスト」



1.議会だよりの限界

議会の様子をお知らせするメディア手段は、昔から紙の「議会だより」がありました。年4回の発行です。定例会がある3,6,9,12月の翌月に、主に定例会の様子を記事にしたものでした。印刷代はだいたい年額150万円前後で税金で発行されます。


議会だよりには問題があります。情報の即時性がない、つまりタイムリーじゃない、ということです。記載されている記事の古さは否めません。


また、紙面の制約上、掲載する記事の選別でふるい落とされる情報が多いという弊害もあります。一般質問もかなり要約されたものになり、議論の本質や、当該議員の言いたいことの、ほんのわずかな部分しか掲載されません。


昨今の問題として、読者の偏りが顕著なことが挙げられます。議会だよりは自治会を通じて配布されます。その自治会の加入率は現在6割です。つまり4割の町民には届いていません。


自治会に加入していなくても、役場窓口や公民館などで入手できますが、実際にそうやって手に入れて読んでいる「自治会未加入者」はほとんどいないだろうというのが実感です。


また、肝心の自治会経由の読者も、実際に読んでいるのはそのほとんどが60代以上の(誤解無きように言えば)高齢者です。つまり50代以下の現役世代、子育て世代にはほとんど読まれていないだろうと予想されます。


つまり、議会だよりは強いて言えば、「町民の約半数の高齢者」にしか届いていない、と言えると思います。


2.チャンネルユーの限界

もう一つのメディア手段はチャンネルユーによる生中継放送、録画放送があります。これも結構昔からあります。


映像なので臨場感は傍聴しているのと同じくらいの感覚がありますし、余すところなく放映するので、情報の取りこぼしはありません。


しかし、視聴するには膨大な時間が必要です。議会は午前と午後で長ければ6~7時間行われます。仕事で忙しい現役世代は、とてもじゃないけど視るヒマはない、というのが本音でしょう。


国の国会中継も同様ですが、時間にものすごく余裕のある、ある意味でとても恵まれた人じゃないと、視聴するのはほぼ不可能です。


また、現在のチャンネルユーの加入世帯は約6割です。新しく家を建てる子育て世代はほとんどチャンネルユーには加入しないそうです。


つまり、議会だよりと同じくチャンネルユーを通じて議会中継を視聴しているのは、ほとんどが高齢者であろうと考えられます。


3.YouTubeによる挑戦

ちょうど4年前の、2022年6月から、議会はチャンネルユーで放映した映像をすべてYouTubeにて視聴可能にするという改革を行いました。


子育て世代や現役世代へ情報が届くように現代風に合わせたことになります。YouTubeは視聴したい時間を選びません。いつでも何度でも視聴できます。また、倍速視聴などタイムパフォーマンスを気にする現代人のニーズにも合います。


しかし問題は残ります。倍速視聴したところで、最初から最後まで全体を視聴しないと、議論の全体像がつかみにくいという欠点があります。


結局のところ、映像で伝えるのは情報の欠落がないので「間違いない」のは確かですが、やはり情報を得るのに「時間がかかりすぎる」点は変わりません。



4.現代のあたり前を見習う

例えば国の政治のニュースを私たちは普段、どうやって入手しているか?を考えれば答えに近づくかも知れません。


政治ニュースはダイジェストがあたり前で標準です。新聞や雑誌は文字で、テレビは映像で、ネットはその両方で、手段は違えど「誰かが要約してまとめる。重要な論点をわかりやすく抽出してまとめる。」ことに徹しています。


この、「まとめる」という作業は膨大な時間や手間がかかります。それはプロと呼ばれる特殊な専門的技術です。ということは人件費などコストが発生します。新聞もテレビもネットも、これを回収するために有料にしたり広告スポンサーを集めたりして採算を取っています。


さて、この「まとめる」作業を松川町という小さな地方自治体の14人しかいない議会でできるか?できるはずがありません。


仮に議員の一人がそういう特殊な能力があり、無償で「まとめる」作業をやってくれたとしても、問題は残ります。議会14人の全員が納得して承認する「まとめ」など存在するのでしょうか?


国レベルの政治問題ですら、ニュースの報じ方、つまり「まとめ方」にクレームが付きます。右翼的だ、左翼的だ、切り取りだ、印象操作だ、文句を言いだしたらキリがありません。そもそも政治の話題に誰もが納得して賛成する「まとめ」などありえないのです。


だからと言って、つまり身内の議員や住民のクレームが怖いからと言って「ダンマリを決め込む」のはよくありません。特に主権者である住民に「面倒を起こしたくないから情報を発信しない」というのは不誠実です。



5.AIによる試行

しかし昨今は技術の発展のおかげでAIによるまとめが可能です。議会の様子の音声をAIに託せば、思いどおりの分量、文字数で「まとめて」くれます。まとめる技術や作業の負担はほとんどなきに等しいくらい、あっという間にまとめてくれます。


副次的な効果として「まとめた責任」問題から解放される、というメリットもあります。誰かが恣意的な思想をもってまとめたのではないのです。AIという無機質なキカイが無感情で淡々と作業した結果ですので、クレームのつけようがありません。


とはいえ、所詮「キカイ」ですので、細かい所のミスはあります。明らかな固有名詞の間違いなども解決されません。正確を期していえばAIにもある程度の思考の方向性、つまり「性格」は存在すると言えます。


しかしそれをすべて「誰かがチェックして直す」という「校正」作業は大きな負担です。それこそ特殊技術を持ったプロの専門家の仕事です。誰かが無償で気軽にできる作業ではありません。


そこで、「このまとめ作業はAIが行った。」当然、「細かいミスや正確性に疑問が残る場合はある。」とはいえ「95%くらいは正確だと思われる。」速報性を重視するなら、「完璧でなくても素早く発信することを優先する。」という考えはアリだと思います。


長くなりましたが、そんなわけで「非公式!松川町議会AIダイジェスト」 という新しいブログを開設しました。あくまで参考程度かもしれませんが、みなさまの町政への関心にこたえる一助となれば幸いです。


地方自治を学びなおす⑩ ― まとめ

国政よりもずっと身近で、本気になれば私たちの暮らしをガラリと変えることも可能な地方自治、松川町なら「町政」。議会とは?議員とは?町長とは?行政とは?これらを誤解している住民のあまりの多さに驚いた。


この誤解に接した経験と、昨今の政治への無関心や下がり続ける投票率に対する危機感から、舌足らずながら筆を執り過去9回持論を述べた。


10回目にあたり過去の連載を端的にまとめたい。字数の制限ゆえ暴論の嫌いがあるが本意ではない。詳細はバックナンバーを参照下されば幸いだ。



①「権力」を正しく理解しているか


権力者はその名の通り大きな権限を持つ。町政の99%は権力者が決断するといっても過言ではない。町政の権力者は「町長」ただ一人だ。それだけ大きな力を持つのだから有権者は慎重に選択すべきだと考える。



②議員「個人」について正しく理解しているか


町会議員「個人」も「権力」を持っていると誤解している住民は少なくない。この誤解は国政から生じているのだろう。ニュースで日常的に見聞きする国会議員、特に与党の衆議院議員「個人」には確かに「隠然たるチカラ」があるように見える。


それは最高権力者である「首相」を選ぶ一票を持っているからだ。票が欲しい行政トップの「権力者」と持ちつ持たれつの関係になるのは想像に難くない。



③「地方議員」について正しく理解しているか


地方議員である「町会議員」にそんな隠然たるチカラは皆無だ。国政のような最高権力者を選ぶ「一票」を持っていないからだ。


このことを誤解している住民の多さに驚く。議員「個人」に何らかの要望を伝えれば実現すると思っているようだ。要するに「口利き行為」を期待するのだ。挙句の果てに要望が通らなければ議員「個人」に行政を動かすチカラが足りない、と誤解を重ねる。



④「議員」と「議会」の違いを理解しているか


議員「個人」に権力に関するチカラなど一切ない。しかし「議会」という集合体で「多数決の結果」出した結論には大きなチカラがある。議員「個人」が持つチカラは「議会の結論」を決める一票だ。それ以上でもそれ以下でもない。


議会が多数決で下した結果はあなたの要望と異なる場合もあるだろう。その時あなたは議員「個人」に対して不平不満を抱いていないか。あなたはどの議員が「賛成し」「反対したか」知ったうえで抗議しているのだろうか。


挙句の果てには「議会は何をやっているのだ」と怒りの対象を集合体の方にすり替える。「議員個人」と「議会という集合体」の区別ができていない有権者は少なくない。



⑤なぜ議員「個人」にチカラがあると誤解するのか


他の市町村の話だ。過去に議員「個人」は地元地域の「利権代表者」という役割を担った時代があったらしい。町会議員は町全体の視点で審議すべきなのに、実際は地元の利権獲得にばかり奔走していたという。


その時代を知っており、今もその役割を議員「個人」に期待している有権者は少なくない。しかし今では露骨な利権誘導行為や口利き行為は行政側に厳しく監視され、場合によっては罰を受けることさえある。



⑥なぜ有権者は「地元」議員にこだわるのか


今では議員「個人」の地元利益誘導は禁じられていることを知らない住民は意外と多い。この誤解に加えて有権者が「地元出身」にこだわるのは「顔見知りだから」程度の理由だろうか。


良心の自由である投票の理由を非難するつもりはない。しかし肝心の「能力や資質」を見極めようとせずに「顔見知りだから」程度で選択するなら、その議員も「顔見知り程度」の仕事しかしないだろう。



⑦「投票」は取り返しのつかない4年間


町長や町会議員の能力資質に不満があっても任期4年間はクビにできない。リコールや不信任決議などの制度はあるが、地縁血縁の濃い「地方≒田舎」では実現不可能と言ってもよい。


そんな候補者に投票して当選の手助けをしたのなら、あなたにも責任があるだろう。「顔見知りだから」「同じ自治会だから」程度の理由で投票し、きちんと調べて見極めなかったツケだ。


しかし現実には、なぜか過去の無能ぶりを忘れてしまい、次の選挙でも「お願いします」と頼まれたら投票してしまう有権者も多いと聞く。不思議なものだ。



⑧投票したい候補者がいないとき


残念だが配られたカードの中から選ぶしかない。白票や棄権は単なる自己満足に過ぎないと思う。もったいないことだ。


あなたが満足できる候補者を「発掘し」「育て」ればよい。しかしこれには時間がかかる。直前になって慌てて探しても無理だ。普段から自分が「民主主義の重要な担い手」であることを自覚し行動すべきだ。例え日常生活に忙殺されていてもだ。



⑨結局は有権者しだい


政治の貧困という表現がある。有権者の政治への無関心と下がり続ける投票率が、だらしなく能力が低い政治家と、一向に前進しない町政を生み出しているのだと思う。


現行の選挙法には多くの問題がある。それでもなお、有権者が奮起しなければ社会はますますジリ貧となっていくだろう。有権者がラクをして維持できる民主主義や希望に満ちた社会などない。憲法12条は言う。有権者には「不断の努力」をする覚悟が求められているのだ。


(連載終わり)


地方自治を学びなおす⑨ ― 有権者の政治離れについて

国政だろうと地方政治だろうと投票率は低下の一途だ。資質の低い政治家の醜態が原因だろうか?それとも関心のない有権者に原因があるのか?この問題はどちらが先なのだろうか?



有権者が立候補者の「能力、資質」を真剣に見極めようとせず、「頼まれたから」「知り合いだから」「二世だから」などのような判断レベルで、大事な投票権を行使する。その結果生まれた議員や政治家が、大した仕事をしない。挙句の果てには不祥事などを起こす。



こうした事態を見聞きして、多くの有権者は憤慨して呆れる。そうして「議員を辞職しろ」だの「警察が逮捕しろ」などと騒ぎ出す。何のことはない。そんなことしなくても、次回の選挙で落選させればよいだけの話だ。政治家は落選すればただの人。住民の代表者としての一切の権限を剥奪される。



しかし不思議なものだ。なぜかそうはならず、次の選挙でもしっかり当選する政治家は多い。有権者は議員の無能ぶりや過去の不祥事をきれいに忘れてしまうようだ。そしてまた「お願いします」と言われたから、「握手したから」程度の動機で、その候補者に投票してしまうようである。



政治レベルの低下と堕落も、住民の政治への無関心と投票率の低下も、明らかに有権者自身が招いたと私は考えている。厳しいようだが自業自得だ。有権者が「厳しい目で候補者の能力と資質を見極める」作業を怠るから、政治家は堕落していくのだろう。彼らは「有権者はバカだから」どうせすぐ忘れる、どうせ次の選挙でも勝てるとタカをくくっているのかもしれない。



あなたは反論するだろう。候補者を見極めたくても情報がない。最近の政治家は有権者一人ひとりと対話をしなくなった。だから判断のしようがない、と言いたいのではないだろうか。



しかし憲法12条には、民主主義を守るために有権者は不断の努力をしなければならない、とある。立候補者が対話しなくなったと憤る有権者は、この条文をどう捉えているのだろうか。



投票の判断のために、立候補者の情報を積極的に集めて調べるのは「有権者の仕事」だ。候補者は票が欲しい。だから彼らは必死にアプローチして、場合によっては美辞麗句を並べてあなたの気を引こうとする。しかしそんなキレイごとを鵜呑みにして全面的に信用してしまう有権者はそう多くはないだろう。



ある意味で、商品を買って欲しい企業のコマーシャルと似ている面がある。消費者は広告やCMをうのみにせず、知人の評判を聞いたり、ネットで口コミを調べたり、試供品を使ってみたりするだろう。商品に対価を払う価値があるのか非常に厳しく審査している。そういうチェック能力が選挙のときになぜ機能しないのか不思議でならない。



「最近の候補者は有権者と対話がない」という批判について論じたい。では聞く。候補者はどうすれば良いのか。例えば松川町の有権者約1万人に一軒一軒歩いて話を聞けばよいのか。移動と対話に1件1時間として、1万人と対話するのに必要な年月をあなたはすぐに計算できるだろうし、それが現実的に可能かどうかの判断もできるだろう。



候補者によっては、イベントを開いて持論を展開したり、ネット、SNS、動画などで発信している者もいる。あなたはそのようなイベントに積極的に参加しているのだろうか。忙しくとも時間を見つけて、本人が発信するネットの情報に目を通しているのだろうか。例えば松川町では議会の様子をYouTubeで公開している。会議での発言や質疑を聞いて吟味するだけでも、その議員の資質を把握できることは多いはずだ。



今一度確認したい。「最近の候補者は有権者と対話がない」という批判は、実のところ「最近の候補者は『このオレ様』と対話がない」のすり替えではないことを祈る。「このオレ様」がヒマなときに「このオレ様」の自宅に候補者が来て、話し相手になれば満足なのだろうか。



そんなことは私の勘違いに決まっている。オレは町の大御所でVIPだと自分を特別視するような不遜な有権者などいるはずがない。民主主義の根幹である平等と公平を真っ向から否定するような「特別な存在」などあってはならない。



選挙で勝ちたい、当選したいのなら「立候補者の方から対話しに来るべきだ」という有権者の傲慢さ。やはり間違っているような気がする。大事な投票の権利を有益に使うために「有権者の方から立候補者を調べに行くべきだ」という姿こそ、結果的に良い政治家を生み育てると考える。



政治家は住民の代表だ。だからこそ住民の思いや感情に通じていなければならない。たしかに、住民の気持ちを知るには「対話する」ことも一つの方法には違いない。それを軽んじるつもりはないが、絶対視するのはどうかと思う。理屈上で言えば、村民数百人など、よほど人口の少ない自治体を除けば、立候補者がすべての有権者と対話することは現実的に不可能だ。



政治家には「住民の気持ちを理解できる」人物が望ましいと誰しもが願うだろう。しかし住民も一人ひとり異なる事情と背景と感情を持っている。私たち有権者はどうやって政治家の「住民の代表」能力を確認すればよいのか。憲法12条を読んで考えてみてほしいと思う。それが民主社会の第一歩ではないのだろうか。


(次号へ続く)

地方自治を学びなおす⑧ ― 有権者のあるべき姿について

 結局のところ、政治(町政)というものは民度を表す鏡である。有権者の意識が低ければ、それだけ政治のレベルも低くなるのが真実のようだ。良い政治(町政)を期待するならば、有権者にもそれなりに責任がある。有権者としてなすべきこと、あるべき姿とは何だろうか。



投票率は低下の一途だ。有権者はなぜ投票に行かなくなったのだろう。若者の投票率が低いのはいつの時代も同じだ。ただでさえ少子化が激しく、絶対的な若者の母数はかつてと比べ物にならないくらい少なくなってしまった昨今、投票率全体の低下の理由にはならない。総務省の調査では若者だけではなく、全世代の投票率が同じように低下している。なぜ有権者は投票に行かないのか、もう少し掘り下げてみたい。



よく聞く理由のひとつに「自分が投票したところで何も変わらない」という意見がある。この考えは二つの点でとても残念だ。あなたの投票で政治が、世の中が変わるのならば、あなたは満足して投票に行くのだろうか?ある社会問題についてあなた一人がYESに投票し、他の99人はNOに投票したとする。



開票の結果、NOの99票は無視して、あなたのYESの1票を優先して最重視する。そしてその社会問題がYESになれば、あなたは満足するのだろうか?そうやってあなたの投票を最優先にしてくれる社会ならば、あなたは投票に行ってくれるのだろうか?



それを独裁という。民主社会ですらない。そんなことぐらい自分で気づいてほしい。民主社会において、主権者の一票はそれこそ砂粒のように小さい。でもそれが数百、数千、数万と集まり、石となり岩となるから尊いのだ。



もうひとつの残念な点は、あなたの「何も変わらない」という意識だ。裏返せば、あなたは「変わるべきだ」と願っているのだ。少なくともあなたはこの社会の現状に問題意識と危機感を持っているのだ。その熱意を投票で行使しないとは本当にもったいない。



投票に行かない理由として「投票したいような候補者がいない」という意見もよく聞く。厳しいことを言うようだが、与えられた選択肢で選ぶしかないと思う。自分にとって、どの候補者がベストか判断できるまで徹底的に調べて、貴重な一票を使うべきではないだろうか。



そうは言っても忙しい毎日を送る中、候補者の主張や実績を調べている時間はない、という方も多いだろう。それなら前回の連載で記したように、町政に詳しい5人以上の知人や友人に意見を求めて参考にすれば良いだろう。一人や二人では心もとない。特定の候補者の熱烈な支援者・後援者かもしれないからだ。



それでもあなたの貴重な一票の価値に値する候補者がいないと嘆くなら、「あなた自身が立候補すれば良いのではないか」という反論もよく聞く。自分が立候補すれば投票先に迷わなくて済むが、現実的ではないだろう。長年勤めた今の仕事をやめて、当選するかどうか何の保証もない「選挙」に立候補できるだろうか。ごく一部の人を除けば、ハナから無茶な選択肢だ。



投票するに値する立候補者はいない。あなた自身が立候補するのも現実的ではない。どうすれば良いのか。それはあなたの思いを託せる新たな候補者を「育て」、「擁立し」、「支援する」ことだ。後援会組織などいう大げさなものでなくても良い。もっと草の根的で地味な支援でも十分だ。



しかし誰かに「立候補してくれ」と急に頼んでも、すんなり承諾する人などいないだろう。だからあなたは見込んだ候補者を説得し、何年もかけて育て、本人が安心して立候補できるくらいの「仲間・同志の輪」を作る責務もあるのだ。



健全な民主主義を維持するためには憲法12条にもあるように、私たち主権者にも「不断の努力」を求めている。ただボンヤリ待っていれば、あなたの理想にピッタリの候補者が現れるほど、現実は都合よくできてはいないのだ。



以上のことをまとめてみる。次の3つの理由で「だから私は投票にいかない」は正当化されるだろうか?(1)投票したい候補者がいない。(2)自分は選挙に立候補しない。(3)新しい候補者を探す気も、応援する気もない。―――私としてはさすがにどうかと思う。



(2)は論外だとしても、(1)と(3)が顕著だからこそ、投票率は全世代で下がっているのだろうと私は考える。忙しい現代人には候補者を吟味したり、探し出して育てる時間も余裕もないのだろうと思う。しかし忙しさを理由に「不断の努力」を怠るようでは憲法の軽視であり先は暗い。



どんなに忙しくても、時間に余裕がなくても、私たち有権者は人生のほんの少しの時間でもいいから、私たちの思いを託せる「代表者」には誰がふさわしいのか、真剣に考え話し合う労力が必要だ。自発的にそういう時間を作ろうとしないと、候補者を選択するあなたの作業はますます単純化される。



それがどのような結果を招くのか。あなたもよくご存じだと思う。


(はこべ7月号に掲載。次号へ続く)

地方自治を学びなおす⑦ ― 町政への不満と処罰について

 少なくとも、地方自治体の首長や議員(例えば町長や町会議員)を私たち有権者が選ぶのであれば、議会や行政に対する知識をしっかりと「現代にアップデート」する必要があると前回まで説明した。


一番身近にも関わらず町政に対する有権者の無関心は、ますます町政をダメにする。まるっきり何も知らない無関心よりも、大昔の体験に基づく中途半端な知識のままでいることは、さらに厄介でタチが悪いと感じる。


民主主義の維持には「時間、お金、労力」などを有権者が負担する必要があるのではないだろうか。憲法12条も「不断の努力」を説いている。日々の生活に忙殺されがちの私たちだが、ぼんやり待っていれば無料のニュースが教えてくれるのは国政レベルの話だ。


国政や憲法といった大きな話でなくても良い。有権者の私たちは、せめて身近な「町政」=行政と議会について、「現代の正しい知識と情報を得る」くらいの作業には力を注ぐべきだ、と痛感している。「時間、お金、労力」などある程度の犠牲を払ってでも「主体的に」情報と知識を蓄える必要があると思う。


さて、有権者のいろいろな不満を耳にする機会がある。「あの町長はダメだ」「あの議員はダメだ」という内容が一番多い。そういう評価はとても大事だ。それだけ町政に関心を持っている証拠だと言える。無関心でいるよりは良いことだ。


行政の最高責任者で「最高権力者」である町長。その町長の暴走や独善を制止できる議会を構成する「議員」。両者とも有権者の直接選挙で決まった人たちだ。この人たちが仮に「ダメ」だと思うなら、私たち有権者はどうすればいいのだろうか。


最も有名なのは「リコール(解職請求制度)」だろう。詳しくは各自で調べてほしいが基本的な流れは「規定数以上の署名を集め」ると「住民投票を行う」ことになる。この結果で「ダメ」な町長や議員を「強制的にやめさせる」ことができる。法律できちんと定められた制度だ。


しかし私は地方社会、あけすけに言えば「田舎」でリコールは非現実的、まず不可能だろうと思っている。地方社会に住む有権者、つまり住民の「気質」がリコールに「向いていない」と考えるからだ。


地方社会の住民は、自分が住む地域がそれなりに「人間関係が濃い」と十分に実感している。感情的に衝突することがあっても、なんだかんだ言って「丸く収める」のが大好きな社会なのだ。この傾向はやはり「地縁・血縁」と「農業の共同作業」などの長い長い過去の積み重ねが影響していると思う。


地方社会にとってリコールはまさに本気の「ケンカ、戦い」だ。ケンカ相手がいかに「ダメ」な人間で、その役職に「全くふさわしくない」と主張して賛同者を集めるのだ。ぜひ自分の胸に聞いてほしい。「この田舎社会で私にそんな事ができるのだろうか?誰かを否定する署名が書けるだろうか?」と。


田舎では何世代も前から住み、次世代も住み続けるという世帯もあるだろう。人口が少なく流動性も低いので、人間関係は狭く限定的になりがちだ。この先「いつ」「どこで」「どんな」縁や付き合いがあるかわからない。そんな可能性がある相手に対して「あなたはダメだから辞めろ」と突きつけるのだ。どのような結果になろうと、おそらく両者には相当長い間深い断絶や怨恨が残るだろう。


町長や議員個人に刑事罰になるような犯罪行為があればまったく話は別だが、「選挙時の公約を守らない」「質疑や発言の中で明らかなウソを言う」「自分の判断や賛否について住民に説明しない」というような政治家としての姿勢や資質に対するリコールは、田舎ではまず不可能だと私は断言したい。誰だって好んで敵を作りたくないのだ。


そうなると、結局は4年に一度の選挙で評価するしかない。現職候補に対しては過去4年間の議案賛否をチェックするだけでも効果的だ。どの議員が自分に近い考え方を持っているか明らかになる。新人候補にはそれまでの民間での実績や、政治家としての将来の能力を厳しく値踏みして判断する。そうやって多くの有権者が候補者をしっかり見極めて投票すれば、おかしな町長やとぼけた議員が出現する可能性はずっと低くなる。


もしあなたが、こういった立候補者の見極め・チェックをする余裕がないのであれば、せめて町政に詳しい周囲の知り合いに「誰を応援すればいいか」を聞いて参考にすると良い。ひとりだけに聞くのは危険だ。その人は後援会のメンバーかもしれない。かならず4~5人には聞いてほしい。そうすればあなたの大事な一票が磨かれるはずだ。


仮にあなたが、投票に際して十分に判断せずに、単に「同じ自治会だから」「顔見知りだから」「頼まれたから」程度で投票したとする。しばらくすると、そうやって生まれた町長や議員に「あいつはダメだ」と批判する。なにか矛盾しているような気がするのは私だけだろうか。


はこべ4月号に掲載。次号へ続く)

地方自治を学びなおす⑥ ― 議員と「地元」について

 私たちの生活に最も身近な政治、例えば町政。意外と知らないコト・誤解しているコトは多い。この連載は改めて見つめなおそうという趣旨だ。


まずは地方議員、いうなれば町会議員へのよくある誤解を解説した。国会議員と混同しているのか「町会議員には行政に『口利き』するチカラ」があるという誤解。実のところ今の時代、そんな口利きはほぼ不可能と言える。



誤解の原因は他にもあるだろう。例えば過去の経緯だ。とある町村の話だが、ずっと昔には「地元」議員とは「地元への利益誘導」に奔走するのが仕事、というような時代もあったようだ。その時代に恩恵を受けた体験がある有権者は、今でも議員は地元に利益を運んでくれるだろうと誤解する。



時代は移り変わり、議員の口利き行為や地元へのあからさまな利益誘導は、今では禁じられていると言っても過言ではない。そういった変化を知らない有権者はまだまだ一定数いるようである。現在では地元の要望は区や自治会から唱えたほうが、ずっと早いし効果的だ。



そもそも町会議員は、地元に縛られずに「町全体の視点」で議案を審議するのが当然の原則だ。地元への利益誘導の口利きが禁じられている今は、ある意味では健全な議員本来の姿になりつつあるのかもしれない。



何がなんでも「おらが地域」から議員を出す、それが投票判断の最優先事項だという考えの有権者も一定数は存在するだろう。それを否定するつもりはない。投票の判断は人それぞれ自由だ。



しかしそういった有権者が持つ議員活動についての基礎的な認識は正しいとは言えない、という実態もある。それが町政や地方議会の衰退の一因かもしれない。というところまで前回説明した。




さて私たち有権者は、どうやって地方議員を選べば良いのだろうか。もちろん前提として投票は自由行動だから、最終的には自身の判断基準で投票すればよいことだ。



しかしこれまでこの連載で説明してきた通り、私たち有権者が「地方議員の仕事」に対する「正しい認識」を持っていないと、せっかくの投票が無意味なものになりかねない。「間違った認識」で「間違った期待」をもって投票すれば「間違った議員」が生まれ「間違った議員活動」をするだろう。



繰り返し述べるが、自分が住む地域への利益誘導を目的として、わざわざ「地元」から議員を選ぶ行為はどうかと思う。今の時代、議員個人に「利益誘導」するチカラはない。そしてその仕組みもない。今は議員個人が下手に行政へ口利き行為を行うと「しっかり証拠を取られ」「厳しく非難され」「場合によっては罰せられる」という、恐ろしいほど割に合わない行動なのだ。松川町でも例外ではない。



地元への利益誘導に奔走する議員個人など、とっくの昔に消滅している。だから有権者が「地元利益誘導」という視点で投票しても、議員はあなたに何もしてくれないだろう。というより禁止されているので、できるはずがない。あなたの「おらが地元を優先して」という思いは、全く届かないし、そもそもそれは議員の仕事ではない。



数ある候補者を比較して、能力や経験、実績や信条などを比べてみたが甲乙つけがたい。そうであれば顔見知りの地元の候補者を支援しよう、という判断なら理解できる。主権者の大事な1票は、納得できるまで吟味して行使して欲しいと願う。



もしあなたが議員の選択に最優先で「地元」要素を求める、どうしても「地元」でなければ困る、というなら、その「理由」を掘り下げたほうが良いだろう。概ね以下の3点に集約されると思われる。



(1)「おらが地元にインフラ、ハコモノ、公営サービスを誘致してもらえる」



これは何度も説明したように、今の時代ではほぼ不可能だ。この理由で投票することは無意味に近いと考えたほうが良い。



(2)「おらが地元の産業や地理的特徴、住民の事情をよく知っている」



これもよく言われるようだ。しかしその先に何を期待しているのだろうか。結局は地元への利益誘導が本音ではないだろうか。それは何度も言うように不可能だ。

「地元の詳しい情報を持ち、行政へさまざまな要望を伝える」のは、今の時代は「自治会」や「区」の仕事となっている。もはや議員の出る幕はない。



(3)「顔見知りだから、なんとなく安心できる。人柄を知っている」



これもよく聞く理由だ。あなたのその「気持ち」は分からないでもない。しかし議員選挙を「ともだち選び、友人づくり」のレベルで考えているなら、生まれた議員もしょせんあなたの「ともだち」程度だ。議員としての仕事ぶりを期待してはいけない。



わたしのこれまでの調査を踏まえ経験則も合わせて出した結論は、上記のとおりだ。要するに「地元という理由」だけで議員を選ぶなら、議会が「レベルダウン」するのは仕方ない。「投票して当選させたあなたにも責任の一端はある」ということだ。



やはり有権者は「現代の議員・議会の仕事」を正しく把握、理解すべきだ。そうしないと選びようがない。仮にあなたが「農業委員会」という制度を知らない、なんの団体なのか、何をしているのか、さっぱりわからない、もしくは誤解しているとしよう。そんなあなたに投票権が与えられているとしよう。さてあなたは「農業委員」にふさわしい「最適任者」を投票して選択できるのだろうか。


はこべ3月号に掲載。次号へ続く)


地方自治を学びなおす⑤ ― 誤解を生む過去の経緯について

 今の時代、町会議員のような地方議員に「地域利権の代弁者」「地元に利益誘導する存在」という役割は、ほぼ消えつつある。にもかかわらず一部の有権者がそういった誤解を持ち続けるのは、国会議員と同じようなイメージで混同していることが原因の一つだろう。


そういう誤解は「議員個人」と「集合体としての議会」の区別さえできなくなる恐れもある。このように有権者の基礎的な認識が間違っていれば、当然ながら地方議員や地方議会への批評や監視の目もおかしくなってしまう。これが地方議会の衰退の一因かもしれない。というところまで前回説明した。




さらに「過去の歴史の背景」がそういった誤解を生んでいる面もある。他の町村で聞いたずっと昔の話だ。かつて町会議員とは、まさに「地域利権」の代弁者だったらしい。いかに多くの税金を地元に還流させるかが仕事であり使命であったと言われる。


住民は行政の動きを知りたくても、当時はその手段が少なかった。また、町への要望があっても、行政の仕組みや手続きは難解で複雑だ。住民は戸惑い、声をあげることに躊躇して消極的だったらしい。


こんなとき「地元議員」はとても有効で役に立つ。地元住民の朴訥で飾り気のない語り口でも、本音や言い分を聞き取って理解できる地元の議員。住民にとっても顔見知りだから遠慮なく話せる。そこには地縁血縁も大きく影響しただろう。


地元議員はその地元住民の声を翻訳して、行政に効果的に伝わるよう変換する。町内のどこよりも優先して、我が地元地区に税金を投入すべきだ、と理論武装をして主張する。地元への利益誘導のお手本のような行動だ。


町側とのそういう複雑な交渉経緯や結果の見通しなどの情報を、地元議員は地元住民にわかりやすく翻訳してフィードバックする。「町政報告会」などと銘打ったこの往復の繰り返しが、かつての議員個人のメインの仕事だったそうだ。


こういう機能があるので、議員の選出は厳然と「地区割り」されており、有権者には暗黙の了解事項だったとのこと。本人の信条や政策で議員を選ぶのではなく「おらが地域から議員を出す」のが最優先の選考基準だったという。


かくして多くの(もちろんそうでない立派な見識を持った議員もいただろう)議員が似たような地元志向で行動していたそうだ。しかし町会議員とは、そもそも町全体の視点で議論するのが仕事だ。だが実際には「おらが地元地区を優先してくれ」と各議員それぞれが主張する。


国会議員に例えたら分かりやすい。彼らは国家の問題を議論するのが本来の仕事だ。税法や福祉、経済や外交などなど。国会議員たちが国の視点で議論すべき課題よりも、それぞれが「おらが県に道路を作れ」「新幹線を通せ」「空港が欲しい」そんなことばかり主張して騒いでいるとしたら・・・そんなイメージだろうか。


こんな状況では間違いなく議論は空転し、最悪の場合は町政業務が滞る。そこで地元への利益誘導を叫ぶ個人議員たちの「利害関係」を調整する人物が必要になる。要望の優先順位を決めると同時に、優先度に不満が残る議員には相応の別の果実を分配(賄賂ではない。誤解のないように)する。そういう交通整理ができる「調整役」が必須となる。


聞き調べた範囲では、この「調整役」を担っていたのは「行政トップである町長」というケースが多かったようだ。次いで語弊があるのを承知でわかりやすく言えば議会内に「ボス」や「ドン」がいて、調整役をしていたケースだ。各議員の利害関係を調整して、行政側(=町長)が受け入れやすいような「アメとムチ」を提示する。そんな交渉をできる人物が実効支配していた事実もそれなりにあったらしい。


一方、町長には「町全体」という視野で進めるべき教育や福祉などの仕事が山積みだっただろう。国や県から受託している仕事も多い。これらは着実に遂行しなければならない。


町長にしてみれば、町全体の視点で進めたい事業にも議会の「決裁、承認」が必要だ。この種の仕事は、議会からの異論や反対が出ないようにスムースに進めたい。そのために各議員の地元利益誘導の主張をどうやって処理してさばいたか、言わずとも当然のように推測できる。


過去の「地元議員個人」と「町長」と「ボス」との三者の間にそんな関係や折衝があったことを批判するつもりはない。そういう過去の事実があったようだというだけだ。そしてこの時代を知る、この世代で恩恵を受けた地域住民にとって、議員個人に対する存在価値は、ズバリ「地元への利益誘導」できるかどうか、ということに他ならない。


そんな住民たちも年を重ね、時代の変化を感じる。今どきハコモノやインフラ誘致は時代にそぐわないと理解はしているようだ。しかし「オラの声を聞いて町に要望する」のが地元議員というものだ、という過去の認識のままという住民も少なからずいる。このように現代の議員個人の仕事と役割について、全くアップデートされていない層の塊は今も実在するようだ。


つまり、議員への「地元に利益誘導するのが当然の仕事」という誤解は、過去の経験による影響も大きい、ということだ。こういう誤解はどんなことでもあり得る話だ。だからこそ、この掲載のような何かのタイミングで、積極的に自覚して認識を新たにしてもらえれば幸いだ。


念のためにもう一度言及しておく。この過去の話は「松川町」のことではない。どうか誤解無きよう願う。

(はこべ12月号に掲載。次号へ続く)


研究報告会を開催します!
2月10日(土)19:00

 ハローミヤ跡地の買収で始まった、老人福祉センター問題、元気センター問題はますます混迷を深め、解決のめどが立ちません。


この問題について、私たち有権者は「正しい判断」をするために「正しい情報」を吸収する必要があります。


本イベントでは、「加賀田亮松川町政研究調査会」が主催し、代表の加賀田 亮がこの問題について分析し解説いたします。


日時:2024年2月10日(土)19:00~

場所:えみりあ2階ホール

参加費:無料ですが政治団体の活動ですので寄付をお願いいたします。



当日は、2022年6月18日に開催した「元気センター研究会資料」(全215ページ)を販売します。ご自身の情報源としてご活用ください。代金は当政治団体への寄付として扱います。

一部500円(先着30名様限定)


資料は前回(2022年6月18日)と同じものです。前回入手された方はお持ちください。


なお、本イベントは録画の上、後日YouTubeでの公開を予定しております。撮影されることに問題がある方は参加をお控えください。


本イベントは政治団体「加賀田亮松川町政研究調査会」によるものです。松川町および松川町議会とは、何ら関係ありません。


本イベントは事前申し込み制です。こちらより申し込みください。

イベント終了いたしました。たくさんのご参加ありがとうございました。






地方自治を学びなおす④ ― 議員と議会の違いについて

私たちの生活に最も身近な政治、例えば町政。意外と知らないコト・誤解しているコトは多い。この連載は改めて見つめなおそうという趣旨だ。


まずは地方議員、いうなれば町会議員への誤解からひも解く。「国会議員と同じように、町会議員には行政に『口利き』するチカラがある」というのは事実だろうか。結論から言えばそんなチカラは「ない」。


国のトップで最高権力者の首相は、国会議員の投票で選ばれる。だから国会議員ひとり一人(実際には与党の議員)は、首相(=行政権力。各省庁を含む)に対し隠然たるチカラを持つと考えるのが自然だ。全員とは言わないが、この関係は「口利き」に簡単につながるだろう。


かたや県や町のトップで最高権力者の「知事」や「町長」は、住民が直接投票する。地方議員は関与しない。国会議員と異なり、町の議員には「あなたを町長にしたのは私の一票のおかげですよ」という「貸し」はない。


こういった仕組みをよく知らず「議員」と名がつくものは、国会だろうと町議会だろうと「行政トップに隠然たるチカラを持っている」と信じ込み、「口利き」を頼める、と誤解している住民は多いようだ。


議会の役割は究極のところ「事業予算案の審議」と「条例の制定改廃」だが、これは地方議会の実態に近い。行政トップを決める選挙で「恩義」がない地方議員に「口利き」を住民が期待することは極めて非現実的なのだ。


この実態を知らない、区別できていない住民の多くは、今でも地方議員に何かを実現しろと迫る。町長が「絶対的な最高権力を持っている」行政の仕事に、議員個人が介入できるはずもないのに、安請け合いする議員個人も少なからず存在するだろう。このような状態では地方議会はまともに機能しない、というところまで前回説明した。


住民が「議員個人に意見を伝える」のはとても有意義で大切なことだ。要望にしても「私は○○を実現してほしいと願っている」という思い=「意見」を議員個人に伝えるのは大変良いことだと思う。誤解しないでほしい。


弱き立場の人、公的福祉を必要としている人、プライバシーを保ちつつ行政への苦情がある人などは、議員個人を介在するのは有効だろう。あなたと行政をつないでくれる、せっかくの議員をどんどん使うと良いと思う。


議員個人に「おまえの個人のチカラで行政を動かして○○を実現しろ」と「要求」することが不自然なのだ。何度も言及した通り、議員個人にそんなチカラは「ない」。


もしあなたに、実現してほしい要望があるならば、行政(=町長や町役場)に直接伝えるのが一番早い。もし行政の対応がイマイチだったとしたら、議員「個人」ではなく「議会」を使う方法がある。


いわゆる「陳情」とか「請願」といわれる仕組みを使うのだ。これは憲法で保障された私たちの権利で、未成年でも外国人でも使える。住民から「陳情」「請願」が正式に議会に提出されたら、議会はこれを審議して住民の要望を「採択する」「しない」を多数決で決める。


議員個人ではなく、「議会」という集合体が多数決で出す結論には、それなりのチカラがある。「隠然たる」というような怪しいものではなく、法で保障されている公明正大な議会の「権能」であるのだ。


「議員個人」と「議会という集合体」。この区別ができない人の多さに驚く。改めて理解してほしい。国会議員と異なり、地方の議員個人には何のチカラも「ない」と言っていいだろう。しかし議員の集団である「議会」には、法で定められた「きちんとしたチカラ」がある。議会は常に多数決で意思を示す。その決定にチカラがあるのだ。


ところで、市町村が運営する観光施設などが巨額の負債を抱えて破綻した、などというニュースを聞くことがあるだろう。これまでつぎ込んだ「あなたの税金」は無駄になり、借金の補てんに「あなたの税金」が使われる。怒り心頭の住民から「議会は何をやっていたのだ」という非難の声が上がることが多い。


「議会は何をやっていたのだ」――――この表現に私はいつも疑問を抱く。破綻した施設の経営は、町長をトップとする「行政」の仕事だったはずだ。無駄な設備投資や市場動向を顧みない放漫経営の結果、破綻することがほとんどだ。


さて議会の仕事はなんだったのか。施設の経営中に町が「設備を新設するから、税金を○○円使いたい」と予算案を立てて、議会に承認を求める。議員たちは質疑し、協議し、最後は「多数決」で「税金を○○円使うこと」にYESかNOで評決する。


議員個人を見れば、施設の運営に懐疑的で「税金を投入すべきではない」と主張する者もいる。しかしその議員個人がNOの立場を貫いても「多数決」に負ければ「議会という集合体の結論」は、税金を使うことにYESとなる。


批判するのであれば、YESの立場で税金をつぎ込むことに「賛成した議員個人」を対象にすべきだ。にもかかわらずNOと主張し続けた「議員個人」も何もかも一緒くたに「議会は何をやっていたのだ」と批判する。それは「議員個人」と「議会という集合体」の区別ができていない証拠だろう。


そういう私だって議員になるまで全くの無知だった。中高年になっても学ぶべきことは多い。

はこべ2023年11月号掲載。次号に続く)


地方自治を学びなおす③ ― 地方議員について

 地方自治、いうなれば町の政治(=町政)は、私たちの生活に最も身近であるはずなのに、知らないこと・誤解していることが多い。前回まででは地方議員(例えば松川町の議員)に対する誤解がどうやって生まれるのかについて解説を試みた。


それにはまず「権力」を正しく理解する必要がある。権力とは「行政」を執行できるチカラのことだ。わかりやすく言えば、「住民(国民)に何かを従わせる・強制する」ことができる、ということだ。



住民から見れば、最高権力者はこの国では「首相」「知事」「町長」の3人だけだ。議会に権力は「ない」。権力者を牽制する機能を持つに過ぎない。



しかし国会議員だけは特殊な状況にある。彼らは最高権力者(首相)を決める一票を持っている。よって権力者(首相や各行政機関)と国会議員は特殊な関係が生まれやすい。



その影響力、隠然たるチカラを遠慮なく行使する国会議員も少なくないだろう。それを期待してアテにしている地元住民も多いと思う。というところまで前回説明した。


 


察しの良い方はすでにお気づきだと思う。行政に隠然たるチカラを持つ国会議員。「きっと地方議員も同じだろう」。これが最大の誤解だ。前回までに説明した通り首相と異なり、県知事や町長は住民が直接選挙で決める。地方議員は一切関与できない。



知事、町長といった「地方の権力者」は、選挙に関して議員に恩義も「借り」もないのが普通だ。当然、地方議員には「私の一票で」あなたを知事や町長に選んでやった、という事実も「貸し」ない。



それは健全といえば健全な本来の姿だ。行政の最高権力を持ち、それを行使する権限がある知事や町長。その権力の暴走や独善を防ぎ、税金を正しく使うようにチェックし、場合によっては予算否決という方法で権力行使をストップできる議会。



ふたつのチカラが程よい緊張感をもって分散しているこの状態を「二元代表制」という。これが現在の地方議会の姿だ。国会議員とは明らかに持っている「チカラ」が違うのだ。



しかし、かつての私も含め、多くの住民はそんなことは知らないし、関心もないのが大多数ではなかろうか。「町会議員」「県会議員」なんて日常の生活でほとんど接点がない、そもそも誰が議員なのかすら知らない、という人も多いと思う。



町会議員の知り合いがいる、県会議員と顔見知りだ、という人も少なからずいるだろう。しかし前に述べたように「国会議員」と同じような「隠然たるチカラ」を地方議員も「持っている」と誤解している人の多さに驚く。



その誤解は次のような批判を招いてしまう。「あの議員に〇〇を頼んだのにやってくれない」。「あの議員は〇〇を建設すると公言したのにやらない」。



住民にはいろいろな要望がある。道路を立派に舗装してほしい、橋を架けてほしい、カーブミラーや信号がほしい、給食費を無料にしてほしい、企業を誘致して雇用を増やしてほしい、などなど。



みなさまもご存知の通り、これを実行するのは行政の仕事であり、実行すると判断するのは知事や町長といった「行政の最高権力者」である。議員では「ない」。であるはずなのに、「議員個人」に要望すればよいと考える住民も多い。



住民の要望を託された(=頼まれた)議員ができることは、せいぜい関連する議案が行政から出たときに、住民の要望を自分の質問にうまく織り交ぜる、もしくは一般質問で取り扱うテーマにする、ぐらいである。議員にできるのはあくまで「質疑」であり、行政機関に「実行させる」機能もチカラも議員にはない。



住民の要望を聞き入れてくれる議員を、仮に議会の過半数以上集めた(=多数派になった)としよう。しかし議会に多数決のチカラがあっても「〇〇という事業を新たにやりなさい」と、行政に「住民の要望」を強制的に実行要求する事はできない。予算を伴う事業を計画する権利は、法律によって知事や町長といった「行政トップ」にしか許されていないのだ。



例外があるのは承知であえて断言したい。有権者が議員個人に何かを要望して即効性を期待するのはあまり意味をなさない。町長や行政機関へ直接要望したほうがずっと早い。「給食費を無料にします」などと公言する議員は信用しないほうが良いだろう。それは本来行政(町長)の決断と仕事であり、議員個人にできるはずもないし、その権限もない。



議員が公言するならば、「行政が『給食費を無料にしたい』という議案を出したら、私は賛成します」。というのが本来の姿だ。より現実味を帯びるなら「私と同じように賛成する議員仲間を『過半数』集めます」。と主張すべきだ。



私たちが地方議員を選挙で決めるとき、その点を注意して見てほしいと願う。あなたの住む極めて限定された地域に、地方議員が何かを「してくれる」ことは、理屈上あり得ない。だからそれを期待したり要望することは、もともと筋違いなのである。



私たち有権者は「議員は町長に対して口利きができる」、その結果「議員は地元に恩恵をもたらす存在」と誤解する。議員も議員で、本来できるはずのない「行政がすべき仕事」を、あたかも自分が実現させるかのように公言する。こうやって選ばれる地方議員には何も期待できない(してはいけない)と思う。誤解したまま投票する、あなたにも責任の一端はあるのかもしれない。

はこべ2023年10月号掲載。次号に続く)


地方自治を学びなおす② ― 国会議員について

 地方自治、いうなれば町の政治(=町政)は、私たちの生活に最も身近であるはずなのに、知らないこと・誤解していることが多い。前回では地方議員(例えば松川町の議員)に対する誤解がどうやって生まれるのかについて解説を試みた。


それにはまず「権力」を正しく理解する必要がある。権力とは「行政」を執行できるチカラのことだ。わかりやすく言えば、「住民(国民)に何かを従わせる・強制する」ことができる、ということだ。



住民から見れば、最高権力者はこの国では「首相」「知事」「町長」の3人だけだ。議会に「権力」はない。権力者を牽制する機能を持つに過ぎない、というところまで前回説明した。



さて、最高権力者である行政のトップはどうやって決めるのか。最高権力者は「国」「県」「町」と3人いる。あなたはその決め方の区別をご存じだろう。松川町行政のトップである最高権力者の「町長」は、一般「町民」の有権者が投票で決める。



県のトップの知事も同様に一般「県民」の有権者全員に投票する権利がある。あなたも投票したことがあるだろうから、「県」と「町」の最高権力者を決める力を「誰が」持っているのか、すでに理解していると思う。



しかし「国」の最高権力者である「首相」はどうだろうか。私たち一般国民の有権者には、首相を直接選ぶような投票の機会は「ない」。そもそも投票の権利がない。総理大臣の選挙に行って投票したことがある人はいないと思う。では誰がどうやって首相を決めるのか。ご存知の通り「国会議員」が投票で選ぶのだ。



国会には参議院と衆議院の2つがあるが「衆議院の優位性」という決まりがあり、実質的には「衆議院」の国会議員たちが首相を決める力を持っている。衆議院の人数は現在450人ほどだ。1億2千万の人口を抱える「日本の最高権力者」を決めるチカラは、たった450人が握っているのだ。



一般国民ではなく「国会議員」が首相を決める。1億2千万人の国民に何かを「強制させる・従わせる」最高権力を持つ総理大臣。この「行政トップ」を選ぶ作業(選挙)は僅か450人程で行われる。そのくらいの規模なのだ。



この「最高権力者を決める力」は、国の「国会議員」だけが持つチカラで、県の「県会議員」や、町の「町会議員」にはないチカラだ。この違いはとてつもなく大きい。そして「議員」に対する誤解を生む最大の要因だと私は思っている。



ポイントは有権者の数だ。松川町には1万以上の有権者がいる。長野県はおよそ170万人だ。しかし首相選挙の有権者はたったの450人ほど。野党の国会議員はよほどの事情がない限り、自分に投票してくれない。ということは自分がいる与党の国会議員230人前後が、実質的に自分を首相に選んでくれる大事な人(有権者)ということになる。



察しのいい方なら、もうお分かりだと思う。自分を支持して首相に選んでくれる230人ほどの与党の国会議員とは、できるだけいい関係を保ちたい。230人程度であれば顔や名前はもちろん経歴や性格、人脈や家族のことまでよく知っている仲になるのも難しくない。



一方、首相を選ぶ大事な一票を握っていると自覚した「与党の国会議員」はどのように振舞うだろうか。最高権力者である首相に対し「抜き差しならぬ」関係になることが多いだろう。中には清廉を貫く議員もいるだろうが、おおよそほとんどの与党国会議員は首相と「持ちつ持たれつ」の間柄になると簡単に予想がつく。



国会議員には「地元」がある。その地元から要請や陳情があったら、どう対応するだろうか。地元住民の頼みを無下にはできない。ぞんざいに扱えば「あいつは冷たい、地元のことを気にしていない」と悪評が立ち、自分の選挙に影響する。



例えば、地元に立派な国道が欲しいという住民の要望があったとする。国道を整備するのは行政の仕事だ。だから本来、住民は行政機関である国土交通省あたりに要望すればよいはずだ。しかし全国から同じような要望が一斉に来ても行政は困る。使える税金には限りがあるので、行政はおのずから優先順位を付けるようになる。



こうやって地域住民が、行政に真正面から正攻法で要望すれば、一向にラチがあがらず十年単位で待たされることもありうる。そこで行政の仕事とは本来「一切の関係がない」はずの地元選出かつ与党の国会議員が登場する。



行政の最高権力者である首相を選ぶチカラを持つのが与党の国会議員。彼に依頼すれば、利害関係がある首相(それは配下組織の各省庁行政機関をも意味する)にとても「強く」伝わるだろう。語弊があるかもしれないが「口添え」「口利き」といった行為が期待できる。この傾向は都市部よりも地方のほうが強いだろう。



よく考えてみると国会議員とは国のかじ取りを託した人たちだ。しかし現実には地元要望の「有力なパイプ役」という極めてローカルな、しかも隠然たるチカラを持つと考えるのが自然だ。私はその良し悪しを断ずるつもりはない。背景はどうあれ、実際にそういう現実が目の前にあるだけだ。



私がかつて「国会議員にはチカラがある」と何となくボンヤリ感じていたのは、そういう事実があると認識していたし、おそらく多くの人(住民・国民)も似たような感覚なのだろうと思う。

はこべ2023年8月号掲載。次号に続く)


地方自治を学びなおす① ― 権力について

 知っているようで知らない。誤解している人も多いと思われる地方自治のしくみ。議会とは?議員とは?町長とは?行政とは?正しく理解していると自信を持って言えるだろうか。熟知している人も多いと思うが、この場を借りて改めて学びなおしてもらえれば幸いだ。


私は町会議員として、ささやかながら町政=地方自治に関わっている。近年の政治に対する有権者の無関心傾向や、下がる一方の投票率などには少なからず懸念を抱き続けている。


それと同時に住民の地方自治に対する誤解があまりにも多いことにも驚いた。実際にびっくりするような誤解を堂々と主張する、あまりに多くの住民と出会ってきた。この経験が、舌足らずながら筆を執ってみようと思い立った理由である。


まず手始めに「議員」について考える。地方議員(例えば松川町の議員)とは何者なのか。あなたはどんな印象を持っているだろうか。恥ずかしながら私は40歳になるまで全くと言って良いほど、地方議員について無知であり関心もなかった。


そんな私でも人並みにニュースを聞く。国会がどうした、与党の議員がどうした、総理がどうした、くらいのことは理解しているつもりだった。しかしこれが誤解の元なのかもしれない。


「議員」という単語を聞いて多くの人が思い浮かべるのは「国会議員」ではないだろうか。私たちは国会議員に関するニュース報道を日々耳にする。メディア露出も多く、どうしても印象に残る。国会議員の特徴や性質(そしてその隠然たる力のようなもの)はなんとなくわかる。県会議員や町会議員は対象の範囲が国か県か町か違うくらいで、中身は国会議員とあまり変わらないだろう。私はそんなふうにしか考えていなかった。


先に結論を言えば、国会議員と県や町の議員は全くと言っていいくらい性質が異なる。分かりやすく説明するために、「性質」という単語に変えて以下では「隠然たる力」と表現する。これから回りくどい説明をする。この面倒くささが地方議員に対する誤解の原因の一つだと思う。退屈と思われるだろうが、どうかお付き合いいただきたい。


国の議員は持っていて、県や町の議員は持っていない「隠然たる力」とはなんだろうか。それにはまず「権力」とは何かを正しく理解する必要がある。あなたは「権力」と聞いて何を、誰をイメージするだろうか。権力とはズバリ「住民(国民)に何かを強制させ従わせる力」であると言っても過言ではない。


他人が持っているものが欲しくて盗みを働いたとする。それは刑法という法律に抵触する。権力者は権力(=警察組織に命じて動かす力)を使って犯人を捕まえようとする。そのためには暴力を使ってもよい。そうやって犯人という、いち住民を拘束して行動(逃亡)の自由を奪い取る。「権力」はこれを強制する力があるのだ。


何も犯罪に限ったことではない。私たちは75歳になれば誰もが「後期高齢者医療保険」に加入する。権力者は法律に従って、対象の全国民を保険に加入させる強制力を持つ。私たちに加入「したくない」という自由はない。権力はその「加入したくない自由」を拒絶し、停止させる力がある。


インフラ整備や福祉、教育も同様だ。全住民がひとり残らず全員賛成で「異論がまったく無い」インフラ整備も教育も福祉もあり得ない。住民の意見は多種多様、いろいろあるのが当たり前だ。時間とともに考えが変化するのもごく自然なことだ。しかし行政は最後は何かを「決定」して断行する。結果的には反対意見や異論を「認めない・受け入れない」で、自らの決定に住民を「従わせる」力を持つのだ。


もうすでにお分かりだと思う。法の範囲内で対象の住民に何らかを「強制する」こと、「従わせる」ことが権力である。それを実行するのが「行政」と呼ばれる仕組みや人たちだ。権力をもとに「政」(まつりごと)を「行」う組織体である。省庁や役所はその代表例だ。


住民の行動を強制し従わせるのが権力。その実行組織が行政。その組織のトップが「最高権力者」である。私たちが普段使う「政治」というコトバは、この「最高権力者」や「行政機関」を指すことがほとんどだろう。


国の最高権力者は「首相」である。都道府県は「知事」だ。そして市町村、例えば松川町は「町長」が最高権力者だ。最高権力者は何でもできる万能の神のような存在に見えるかもしれない。実際に、権力者が自分の都合の良いように権力を濫用、悪用すれば独善政治、独裁者は簡単に生まれる。


そこで私たち人類は権力者の暴走を止める方法を発明した。行政は誰かがやらないといけない。だから権力者に行政の権力は与えるが、「(1)法律を作ったり変えたりすること」「(2)集めた税金をいくらでも自由に使うこと」この2つのチカラを権力者から取り上げた。そしてこのチカラは複数人で構成する「議会」という組織に持たせた。


行政の頂点にいる「権力者」の暴走を防ぎ、けん制する役割を「議会」に持たせる。この発明はそう遠くない昔から世界中で広く使われている。(1)法律の制定や改廃(2)税金の使い道をチェックし承認や否決、が「議会」の役割だ。日本でも「国会」「県議会」「町議会」全てに共通している。究極のところ「議会」の仕事はこの二つと言っても過言ではない。


それが「県の議会」「市町村の議会」の実態だ。しかし「国の議会」だけ、もう一つ重要な役割がある。これが大きな誤解のもとになっていると思う。それは行政のトップ=「最高権力者」を決めるのは誰なのか?という特徴だ。

(はこべ2023年7月号掲載。次号へつづく)

緊急開催!トークライブについて

 2023年4月16日(日)午前9時30分より、えみりあ2階ホールにて、トークライブを開催します!


このイベントは、加賀田亮松川町政研究調査会(長野県選挙管理委員会届出済政治団体)が主催します。「松川町を考える町民会議」から協賛・後援をいただいております。


折込チラシで誤りがあります。協賛・後援団体を「松川町を考える会」を表記しておりますが、正しくは「松川町を考える町民会議」です。訂正してお詫び申し上げます。


ゲストの3氏については、町民のみなさまであれば、どういった方々なのか、お察しのことと思います。


イベントは11:30~12:00ごろまでを目安と考えております。聴衆のみなさまの人数やトークライブの内容によって前後すると思いますので、ご了承ください。


トークライブの内容は、司会進行を私、加賀田亮 が務め、ゲストの3氏に町政に関するさまざまな話題や質問を投げかけます。それに対してゲストの3氏がそれぞれ、ご自分の考えや主張をお答えいただき、進めていく、という流れです。


ご留意いただきたいことは、公職選挙法に抵触しないようにする、ということです。トークライブは公示日前ですので、一切の選挙活動は禁じられています。ゲストへの投票を呼び掛けたと疑われる言動は、すべて疑義の対象となります。


同じく公選法対応のため、対立候補同士の発言は時間管理を行い、発言時間が平等になるよう配慮いたします。


トークライブそのものについても、ゲストの3氏を支援する、応援するような内容は公選法上できません。


簡単に言えば、私は司会役としてゲストの3氏を「ヨイショ」するような言動はできません。その結果、ゲストの3氏の回答に対し、厳しく突っ込んだり批判的な再質問をすることが多くなると思います。どうぞご了承ください。


同じ理由から、当日の現場での聴衆のみなさまからの質問、発言も受け付けません。但しネットなどで事前の質問は募集したいと考えております。

jiho.matsukawa@gmail.com

まで質問したい内容を、氏名・住所・電話番号を明記して送付ください。


また、聴衆のみなさまの中には、特定のゲストの強烈な支援者、という方もいることでしょう。しかし、聴衆のみなさまによる過大な拍手、掛け声、呼び声、横断幕やポスターの提示など、すべて公選法に抵触する可能性が高いので、厳にお控えください。


場合によってはイベント会場を退室していただく場合もありますことを、ご承知おきください。


本トークライブは、実質的には聴衆であるみなさま有権者が、立候補予定者であるゲストの3氏の主張や考え方を聞く機会を提供する、というモノであるとお考えの方も多いと思います。


しかし、公選法上、「その通りです。そういった趣旨のイベントです」と言うことはできません。そのため、あくまでゲストと「町政について語り合う」イベントだと私は主張します。


ゲストの3氏は立候補予定者ではなく、あくまで当団体が選んだ「単なるゲスト」です。当方のそういった立場を十分にご理解ください。


さて、当日のトークライブはYoutubeにてライブ配信、その後のアーカイブ配信を予定しております。著作権などは全て当政治団体に所属しますことをご承知おきください。YouTube動画に写り込むのを望まない方は、参加をお控えください。


YouTubeライブ配信・アーカイブ配信のURLは、後ほどここに記述します。

https://youtube.com/live/wNBBupn7Ajo?feature=share

ライブ配信中!



参加費は無料です。この機会にぜひ一人でも多くの町民のみなさまに、町政に対して関心を高めていただければ幸いです。


しかし、民主主義を支える情報は、本来とてもお金がかかるものです。そのため当団体への寄付を募ります。当日は少しでも多くの寄付をお願いいたします。


なお、政治資金規正法により、個人からの寄付のみ受領いたします。法人・団体からの寄付を受け取ることは法律に抵触します。



元気センター解体費6500万円に反対する理由

 2022年2月1日の臨時会最終日にて、私は掲題の「元気センター新築のための旧ハローミヤ店舗解体費6500万円」補正予算に反対しました。解体費6500万円を削った修正案を支持しました。


町民のみなさまの間にいろいろな意見があることは十分承知しているつもりですし、そのうえでの総合的判断として上記のような決断に至りました。その理由を説明します。


議論と合意形成を軽視する町長の独善

当たり前のことですが、町が行う事業の財源はすべて税金です。民間のオーナー社長事業者が出資決断するプロセスと根本的に異なります。


町(行政)が計画する事業は全て「必然があるか」「妥当な金額か」が議会によって厳しくチェックされます。議員は、時間をかけて町民の声を聞いたり、過去の事例や他町村の先例を調査したり、議員同士で議論したりと、それなりの時間をかけて判断を下します。


旧ハローミヤを町(行政)が買収したのは前町長の時代でした。3300万円で1000坪の土地と建物です。買収の目的は、城山にある老人福祉センターの老朽化による、代わりの新しい施設を作りたい、というモノでした。買収する際に「建物をリフォームして使うから今後発生する費用は安く済む」と町(行政)は主張し、議会に理解を求め結果的に承認されました。


つまり、この件はもともと老朽化した老人福祉センターの代替施設、ということでスタートしたのです。その後町(行政)のいつもの手法として町民を集めた「検討委員会」が作られました。


この「検討委員会」なるもの、まったく問題がないわけではありませんでした。検討委員会は何を目的に議論するのか、町(行政)がきちんと明示しなかったのは大きな失政だと思います。うがった見方をすれば「あえて、作為的に」目的を定めなかったのではないか?と疑いたくなるほどです。


実際に検討委員会の議事録を読むと、委員自らが「この委員会の意義は何か」と疑問を呈している場面もありました。意義をめぐって委員会は混迷を極めた挙句、数人の委員が辞職してしまう、という経緯もあったようです。


当初は老人福祉センターの代わりの施設、というハナシでしたが、なぜか旧北名子保育園を拠点に活動する福祉団体数件も元気センターに取り込むことになりました。その理由は旧ハローミヤの土地と建物を買う時に使った国の補助金が原因のようです。


この補助金、「複数の公共施設を1つに統合集約することで行政の負担を軽くする」ことが目的なら、半額近くを国が支払うよ、というモノです。この条件を満たすためには、老人福祉センター単独ではダメなのです。どうしてももう一つ以上の施設を巻き込む必要があるのです。そんな経緯で、旧北名子保育園の福祉団体も協議に加わるようになります。


業者からリフォームの設計案が出されます。約2億円です。金額が妥当かどうかは別にして、この設計案にケチが付きます。老人福祉センター以外の福祉団体も数多く利用することになってしまったので、委員会から「狭い」と文句が出ます。考えてみれば当たり前の結論です。


その声を待っていたかのか知りませんが、町はある試算を委員会に提示します。(1)「旧ハローミヤの店舗をリフォームした場合」と、(2)「旧店舗を解体して新築した場合」を比較すると、長い目で見れば(2)の新築のほうが安上がりだというのです。


委員会にしてみれば、リフォーム案は「狭い」と不満があったので、当然この話に飛びついたのだろうと思います。施設はピカピカの新築になる。広くなる。安い。断る理由はありません。委員会は新築の方向で議論を進めるようになります。


しかし、この試算に大きな問題がありました。解体の見積もり金額が、かなりいい加減だったようです。この試算では旧店舗の解体費を1900万円と見積もっていました。この1900万円という数字は、業者に料金を払ってきちんと正確に見積もってもらったものではなく、他の業務のついでに業者が超々概算として無料サービスで出した程度の数字だったようです。


その後委員会では新築することを前提に、どんな建物にしようかという話題が議論の中心になっていきます。ちょうど1年前の2021年1月、町は議会に対し「新築で進めることに決めた」と報告します。我々議会も解体費1900万円の前提で決定を聞かされましたので、委員会と同じように、ピカピカの新築。広い。安い。と感じました。否定する理由はありません。


町はその後、2021年9月から12月にかけて新築を担当する業者の選定を行いました。この選定過程は別の意味で大いに問題がありますが、本論の趣旨からはわき道にそれますので、ここでは触れません。選定は終わり年末に業者が決まりました。


町としてみれば、新築で行くことは議会がOKした。業者も決まった。次は旧店舗を解体して更地にしようと考えました。解体費用を本気で見積もったらなんと6500万円だった。今まで1900万円を前提で話を進めてきてしまった。さぞ慌てたのではないかと思います。


この時点で、町は自治体として行政として誠実に行動すべきだったと思います。見積金額が大きく狂ってしまった。リフォーム案と比較した時の比較根拠もつじつまが合わなくなってしまった。解体費1900万円だったから新築案の方が安上がりだったのに、6500万円となると、そうも言えなくなります。


町は、議会や検討委員会に相談すべきでした。6500万円かけて解体すべきなのか、それとも元のリフォーム案を再検討すべきなのか。旧北名子保育園の福祉団体はどう参加するべきなのか。いろいろな前提をすべて見直すことになります。


それは、今まで費やした時間や労力が全て無駄になってしまう、ということです。当然町は強い批判にさらされることは覚悟しなければなりません。でも、元から進め方が杜撰だったのは否めません。この機会に恥をさらしてもすべてを打ち明け、誠心誠意に行動するのが税金を預かる行政の責任だと思っています。


しかし、今回町はそういう行動をとりませんでした。しれっと、さも何事も無いように解体費6500万円を要求してきたのです。我々議会には寝耳に水です。町長の言い分は「1年前に議会は新築をOKした」から、解体費を認めろ、という支離滅裂なものです。


先にも書いたように、議会が新築を認めたのは、「リフォームより安い」と報告を受けていたからです。今にして思えば議会側にも責任がないとは言えません。「リフォームより安い」という行政の説明を頭から疑ってかかり、徹底的に積算資料を調べ上げ、自分でも試算し場合によっては議会独自で業者に解体費用を見積もらせる、などといった犯罪捜査のような証拠調べをすれば、こんな事態は回避できたかもしれません。


言い訳に過ぎませんが、議会も行政をある程度は信用して日常の審議を行っている面があります。お互いの信頼関係がないと、何でもかんでもたとえ1円の出費でも行政を徹底的に追求して証拠調べをしなければなりません。議会の取り調べの相手となる行政職員も仕事になりません。


今回は議会のみならず、町民がメンバーの検討委員会が存在していますので、町側は虚偽の情報で町民を欺いたり金額をごまかすようなことはできないだろうという思い込みがあり、町の報告を信頼していたという面もあったと思います。甘いと言えば甘いかもしれません。


ともあれ、今回の町のやり方は許しがたく、6500万円が妥当かどうかの議論を抜きに、議会で採決しろとという町長の要求はあまりにも独善で傲慢です。到底賛同できません。以上が私が今回反対した理由です。

グダグダ町長が選挙公営を扱うとこうなる。

12/2 全員協議会で示された資料

加賀田亮による試算

12/3 本会議で示された議案書


12/3本会議にて松川町に選挙公営導入が可決されました。ものすごく問題のある制度だと思っています。私は苦渋し悩みに悩んだ末、やむを得ず「賛成」しました。「選挙公営制度」とは、立候補者が負担してきたポスター代、選挙カー代などを税金で補助する仕組みです。詳しくは総務省のWebサイトにあります。https://bit.ly/37DuYHf


補助といっても上限金額はものすごく高いので、結局のところ全額税金で出してもらえます。候補者にとっては、ありがたい仕組みだから立候補が増えるだろう、という名目です。この件は前日の12/2全員協議会の場で初めて議会に示されました。私はこの制度の問題点を追及しました。


(追及1)不正受給が全国で多発している穴だらけの制度だ。


業者とグルになれば不正はやりたい放題です。この制度ではポスター代が最高35万円もらえます。今回(2020/11)の選挙で私が使ったポスター印刷代は3万円でした。不正受給の典型的な手口、すぐに気づくと思います。残り32万円で、業者にハガキやパンフレットも印刷してもらうのです。そして請求書や領収書は「ポスター代35万円」と書いてもらえばOKというワケです。小学生でも思いつく手口です。警察の捜査や裁判所の命令ならともかく、住民監視団体や役場の請求ぐらいでは業者は絶対に口を割らないでしょう。


(追及2)都会の国政議員と変わらない補助額。地方の物価に見合う金額を探求すべきだ。


細かい説明は省きますが、補助される額はかなりの高額に設定されています。議員選挙で15人立候補したら、町の負担は最大で1000万円を超えます。そもそも議員選挙の選挙費用は750万円くらいです。選挙をもう一回できるほどの額なのです。一方、町には過去の選挙立候補者の収支報告書が保管されているはずです。このデータを検証するだけで、松川町での選挙費用の相場はすぐわかると思うのですが。


以上が私の主張です。異なる意見もあると思うので、議論を深めたいと思いました。何より今は国民的な政治離れと無関心が懸念されています。町の大事な単独予算を1000万円も使うハナシです。町民の皆さんにも時間をかけて批評し意見をもらいたかった。2020/6月にこの件の国の法律が決まりました。12月には施行されるのを半年前から知っていたはずです。役場は何をやっていたのでしょうか。こういうところの感度の低さ・アンテナの鈍さに腹が立ちます。職員はそれぞれの仕事で余裕がありません。先を見越してリードできる町長ならば、こんなお粗末なハナシにならないのになー、とタメ息が出ます。


一方、役場担当者の声も切実でした。施行日が近づき、近隣市町村も次々と同じ内容でこの条例を可決している。選挙をこれから控えている市町村は早速にこの制度を利用したいらしい。松川町だけ可決を延期して見直しをすることも理論的には可能だ。その場合は施行を急いだ市町村からの批判は覚悟しなければならない。本来自治体は独立独歩だが、田舎の弱小市町村は肩を寄せ合って問題を打開することも多い。近隣町村との関係を考えると、松川町だけ可決「しないわけにはいかない」とのこと。


この半年間、何も手を付けてこなかった。それをいまさら悔やんでも仕方ありません。担当者の罪というより、リーダーシップを発揮できない町長の責任です。否決しても担当者だけが苦しみ、町長は「われ関せず」の態度でしょう。そもそも町長は最初から関心がないのかもしれません。そのような批判を討論で表明しました。そしてやむを得ず賛成しました。


今回は良い教訓になりました。町長の中長期理念やリーダーシップの欠如で、町の職員が責任をかぶる。それを町長はフォローしない。


そういう手段で町長は議案を絶望的なタイミングで議会に出してくる。今日、初出しの議案で明日採決予定。何を考えているのでしょうか。今回の私の苦い妥協は決して忘れません。今後このようなことがあれば、今回の例を引き合いにして、町長を徹底的に追求します。


結局のところ町長の独善が原因

 議会改革の次のテーマを説明します。「(2)議会の審理力を高めるもの」として次の三点を挙げました。

●予算決算特別委員会

●通年議会

●質問時間

まず初めに「予算決算特別委員会」について。これには「常任委員会」について説明が必要です。


町がやりたいという事業は多岐にわたります。これを議会は全部審査するのですが、より専門性を高めるために2つのグループに分かれて審査します。片方を「社会文教常任委員会」といい、主に教育と福祉関連を審査します。もう片方は「総務産業建設常任委員会」」といいます。産業、建設、水道、その他総務を担当します。


町は年度初めに、1年間やりたい事業の計画を議会に提示します。その予算を認めてくれ、というわけです。議会は委員会に分かれてそれぞれ審査します。両方の委員会でOKが出たら、町の1年間の予算は承認される、という流れです。


さて、この方法、実は問題があります。片方の委員会はYes、片方の委員会はNo、という結果になったら全体予算の承認はどうなるのでしょうか?町はあくまで予算全体をワンセットでYesかNoか?と聞いてくるのです。議会はこれに回答する義務があります。例えば教育分野はYesだけど産業分野はNoという審査結果はあり得ないのです。


今まで長い間、議会は町の提示した予算をほぼ100%承認してきました。何も考えずに「町が出す計画だから間違いないだろう」程度の判断でOKしてきたのではありません。


先の投稿で述べたように、町の事業計画は、荒削りの段階から何度も「全員協議会」の場で審議されてきました。そこでは喧々諤々の議論がなされ、議員は不適切だと考える事業や予算に対し、多くの意見をぶつけます。町はそれを受けて、議員が納得できるように事業計画を修正していくのです。


おおむね、議員から文句?が出なくなったら、やっと本会議の晴れ舞台に上程されるのです。ですから本会議の場では賛成多数でOKとなることがほとんどだったのです。


しかし、今の町長は全員協議会や常任委員会で「事前に事業案を揉んでほしい」という気が全くないようです。よって荒削りどころが矛盾だらけ、法規逸脱、支離滅裂、単なる思い付き程度の議案が平気で上程されます。あまりにひどい事業案なので議会はNoと言うしかありません。


議会ができる手法は実質的に一つだけです。上程された全体の予算案をまずNo=否決します。これだと町のすべての予算がストップしてしまいます。そうなると教育や福祉などは大変です。そこで、議会は問題のある事業だけ削除した「修正案」予算を作り、これを可決します。


今までの2つの委員会に分かれて審査する、という方法は、専門性を高めるという以外に、町との信頼関係、協力関係によって成り立ってきたといえます。


町は事業案を何度も何度も議会で「揉んで」もらって、より民意を反映し、税金を使うにふさわしい事業に修正していくのです。今ではそういう行政と議会の関係が完全に破綻しています。特に今の町長は本会議までまともな説明をする気もなく、否決するなら勝手に否決しろ、という態度です。どうしようもありません。


議会は町民の生活に直に関わる全体予算を、広い目で審査する必要があります。2つの専門グループに分かれている場合ではありません。町民生活に直結する予算は残す。町の暴挙にも近い税金の無駄遣い、見通しの全く立たない事業案、そういったものは遠慮なくカットする。そういう作業が必要です。


それには予算と決算を専門に審査する「予算決算特別委員会」を設置すべきです。原則として議員は全員参加です。それならば普通の議会と変わらないじゃないか。そう思われるのも無理はありません。


しかし単なる議員14人の集合体よりも、委員会を設置したほうが良いのです。条例で定められていますが、委員会にすることで議会の権限は一層強固なものになります。調査に関しても強い権限を持つので、より深い審査が可能になります。


どちらにせよ今の町長は議会を軽視しているようです。議会とともにより良い事業案を作り上げるために、全協や委員会を開く気はないようです。そうすると、今後はますます予算が通らず、修正予算が多発します。そのためにも予算決算特別委員会が早急に必要だと思います。特別委員会の設置は簡単です。議会で設置を議決するだけでOKです。



定数も報酬も、結局ダメ議員が原因?

 「議員定数」と「議員報酬」。


議員とはそもそも何者か?という問題です。町長は行政の執行者です。4年に一度選挙で選びます。選挙の時にイイ顔をして当選しても、その後豹変することがあります。町長が無知で独善的で暴走したら4年間大変なことになります。


よって4年間の仕事を監視する役目が必要です。この監視役を誰がするのか。地方自治法89条により「議会」が設置されるのです。しかし同じく法94条では、「議会」を置かず全住民による「町村総会」でも良い。とされています。


大事なのは町長をけん制すること。適切な町の運営を実現することです。ではそのけん制役をどうするか。誰が担うのか。大きく3つの案があると思います。


(1)全住民総会。

住民の意見が直接反映されますので効果は絶大です。松川町の場合、有権者約8千人が一堂に集まり議論し合う。ICT技術を駆使しても現実的とは言えません。ひとりにつき1分間意見を述べるだけで、8000分。約5日半かかります。生活が忙しくてそんな議論にかかわっているヒマがない、という方も多いでしょう。町政に関心がなく、議案を議決しろと言われても判断できない。という方も多いと思います。



(2)ゆるい代表団。

全住民参加の会議はムリなので、かわりに議論してくれる代表を出す。イメージとしては各自治会につき1人くらい。松川町の場合は70人くらいになるでしょうか。有権者約100人に対して代表1人となるので、代表者と住民との距離は近くなります。ただし行政のけん制役として十分か?という不安はあります。代表者は法令に精通して数字にも強い。我田引水ではなく町全体の利益という視点で議論できる人でなければ務まりません。そういう人を70人集めるというのは、かなり難かしい気がします。



(3)少数精鋭の代表団。

(2)のデメリットを補うために、より人数を絞る。法令を熟知し数字に強く出身地域のしがらみにとらわれない。そんな冷徹なプロ集団にけん制役を任せる。



以上のようなパターンが考えられると思います。人数を考えると(1)は全有権者です。8千人くらいです。(2)は70~100人くらいでしょうか。(3)は現行の議会ですので14人となっています。


ここで報酬の問題も合わせて考えてみます。(1)は全員ですので報酬はありません。(2)は会議手当が出るくらいでしょうか。(3)はプロ集団なのでそれなりの報酬が必要だと思います。


現在、国内のほぼすべての市町村は(3)のタイプです。松川町もそうです。(3)は「冷徹なプロ集団」が条件のはずです。しかし残念ながら「そうでない人」も混ざっていると聞きます。他町村の例ですが、法律は全くの素人。数字にはかっらっきし弱い。でもお酒は強い。そんな議員も結構多いとか。


住民感情として議員報酬がよく問題になります。それは自然な感情です。報酬に見合うだけの働きをしなければ批判されて当然です。明らかに働きの悪いダメ議員がいる。だから報酬を下げろ!誰しもそう言いたくなります。


しかしこれは矛盾のある難しい問題でもあります。そのダメ議員を当選させたのも有権者なのです。もちろん、当初はそんな無能だとは思わなかった。だまされた。という場合も多いでしょう。


ダメ議員がいる一方で、有能で働きも良い議員がいることも事実です。そんな議員は「ダメ議員と自分がなぜ同じ額の報酬なんだ!」と腹の底で憤慨していることでしょう。


報酬が発生する以上「(2)ゆるい集団」でも起こりうる問題です。議会に限らずどんな組織にも働きぶりの良い人、悪い人はいます。民間企業なら責任者が評価します。しかし議員の評価は難しいかもしれません。誰が評価するのでしょうか?公平に評価できるのでしょうか?評価に責任を負えるのでしょうか?現実には不可能に近いと思っています。


どちらにせよ、定数問題や報酬問題は「質の低い議員」がいるから起こるのだと思っています。



以下は私のタチの悪い暴論です。

もし誰の目から見ても「著しく働きの悪い議員」がいるのであれば、住民有志で署名を集め「Xさん、議員を辞めてください」という「陳情」を議会に出す。「陳情」制度については後日述べますがこれが一番有効かな?などと思うことがあります。


都会なら開き直る議員もいるでしょう。しかしムラ社会の因習が残る地方では、「陳情が出た」時点で大きな問題、話題になります。地域の目と評判を気にするあまり、対象者は自発的に辞職せざるを得なくなると思います。潔く辞職しないと今後この町に住めなくなる、という恐怖心もあるでしょう。


陳情は議会で審議します。身内をかばう議員は自分の評判も落とすでしょう。何年も結論の出ない定数問題、報酬問題への即効性はあるような気がします。暴論と自覚しておりますので、本気にせず笑読ください。



夜間土日開催で議会は変わる!

 公民館からの寄稿依頼、(質問1)「議員となり目指すもの、取り組みたいことを端的に3つ挙げよ」。挙げよと言う3つのうち、一つ目の私の回答は「本来の審理職務を全うする」です。詳しくは前回の投稿のとおりです。これに力の85%くらいを注ぐべきだと思っています。


残り15%のパワーしかありませんが、2つ目は「議会改革」だと思います。色々な意味で議会はもっと変わっていかなければなりません。他の市町村でも実施されている主要な議会改革を挙げてみます。


(1)議会そのもののあり方に関するもの

●夜間土日開催

●議員定数

●議員報酬



(2)議会の審理力を高めるもの

●予算決算常任委員会

●通年議会

●質問時間



(3)各議員の能力や質を高めるもの

●ICT活用

●視察

●政務活動費



(4)議会と住民の距離を縮めるもの

●広報

●広聴

●web活用



それぞれについてもう少し詳しく書きます。


「夜間土日開催」。議会にはさまざまな会議、会合があります。私の現役時代の実感としては年間100日くらい、週2日という感じです。議員ヒマな商売だ。3か月おきの定例会だけ出ればよい。そう思っている方も少なからずいるようですが、実は年間を通じて結構拘束?されます。


その会合のほとんどが平日の昼間に行われます。だからサラリーマンが兼業で議員になるのは現実的に困難です。議員に立候補するのは農林水産業者、自営業や中小企業の経営者、年金生活者などに限られているのが現実です。地方議員のなり手不足、担い手不足に拍車がかかるという状況です。


しかし現代社会では労働人口の85%がサラリーマンです。税金を払う85%のサラリーマン代表の議員はいない。でも税金の使い道を審理するのは農家、年金生活者、自営業者など。財政民主主義は名ばかりというこの状態は異常だと思います。


現役サラリーマンでも就任しやすい議会。平日昼間の会議ではなく、夜間や土日に開催。そうすることで議員のなり手不足解消や兼業の幅も広がります。


一方でデメリットもあります。「(1)終了時刻が気になって濃密な議論ができない」「(2)対応する町職員の夜間残業、休日出勤の負担」この2つが代表的なものです。


「濃密な議論」については、十分な準備があれば問題ないと思います。議案に対して各議員はしっかりと研究し、調査し、データを集め、問題点を整理する。こうして会議に臨めば問題ないはずです。なんの予習もせずに「議論」などできるのでしょうか?巷では「ダラダラ会議を引き締める」系の本が山のようあります。要は議員各個人の真剣さ、緊迫感が問われているだけかと思います。


「職員の過重労働」は確かに大きな問題です。しかし行政側にとって「議会で審理してもらい予算や条例を認めてほしい」という以上に重要な仕事ってあるんでしょうか?議会が夜間、休日に開催されるなら、その分しっかりと休日を取るべきです。


そうもいかないという言い訳。休みを取らせない職場環境の空気の悪さ。そういった労働問題の全責任は職場トップの町長にあります。要するに町長の裁量で何とでもなる問題です。いまの町長にそこまでの度量はあるのでしょうか?



「議」員とは「議」論して審「議」する。ほかに何がある!

 公民館から寄稿の依頼がありました。いろいろ質問事項が書いてあります。それに答えよ、というモノです。何となくモヤっとした印象を受けました。公民館には正式に提出する予定です。しかし字数の制限は厳しいです。言いたいことのわずかしか書けません。良い機会なので、この場で持論を書きたいと思います。質問は以下の3点です。


(質問1)「議員となり目指すもの、取り組みたいことを端的に3つ挙げよ」


(質問2)「質問1の回答のうち一つ、実現させるために取り組む具体的な活動を挙げよ」


(質問3)「中央・地区公民館では地域の絆、人とのつながりを目的に様々な活動をしている。地域づくりや地域力向上について、貴君に何ができるか挙げよ」


では、質問1から。3つ挙げよ、の最初の一つは「生真面目に審理する」。だと思っています。


議員の基本的な仕事はとてもシンプルだと思っています。町から出された議案を「丁寧に真剣に冷徹に、研究する調査する判断する」。これが原則です。


生真面目に取り組めばとてもパワーを使い疲れます。でも「細かい、しつこい、小うるさい」と嫌がられるくらいが良いと思います。煙たがれる勇敢さがなければ、住民の負託を受ける資格はありません。


言うのは簡単ですが、イザ実行するのは思いのほか難しいようです。松川町に限らず地方は閉鎖的なムラ社会の人間関係がいまだに色濃く残ります。


とにかく他人の顔を立てる。コトを荒立てない。腹の中はどうであれ表面的はみんな仲良く。厳しく断定的なコトバは避ける。どうにでも受け取れるふわっとした表現。先延ばしは沈静化の特効薬。


こうした私たちの社会習慣の良し悪しを論ずるつもりはありません。現実として存在するだけであり、良いも悪いもありません。


しかし、住民の代表である議員に限れば、そんな「なぁなぁキャラ」は許されないと思います。ムラ社会での自分の立場を守りたい。厳しい議論を避け「まぁまぁそこまで言わんでも」ではハナシになりません。


町民、一般の市井の人々はどんなキャラでも良いのです。それこそ他人がどうこう言えない基本的人権です。


でも議員はそれじゃダメです。松川町の人口約1万2千。議員は14人。議員一人当たり約1000人の町民の期待を背負っているのです。嫌われたくないので「イイ人」を装いロクに審理もしなければ主張もしない。それでは1000人の町民に顔向けできないと思います。みなさんはどうお考えでしょうか?



全員協議会のウラ側

 町は色々な議案を本会議に出します。議会はそれを審理して可決・否決します。しかし、いきなり議案を出されても審理のしようがない場合もあります。


また、議員側にとっては初めて見聞きする議案もあります。心理的に抵抗を感じる場合もあるのでしょう。本会議でのそういったゴタゴタは避けたい。TVカメラが入り、傍聴者が見ている本会議で醜態?は見せたくない。


そういう理由もあるのでしょうか、「全員協議会」という会議が存在します。略して全協(ぜんきょう)と呼ばれます。町は議案を本会議にかける数日前に全協の場で事前審理をしてもらうのです。


この場では喧々諤々、激しい議論になることも多いようです。町が出す議案はこうして「揉まれ」ます。議員たちの意見や主張を取り入れ、改善した議案を本会議に出すのです。議員の大多数が納得しない議案は、何度でも全協が開かれます。つまり、本会議という晴れ舞台に出る議案は、地ならしが済んでいる、というワケです。


と、いうのが全協の実態かと思います。少なくとも私が現役議員のころはそうやって運用されていました。「ハレ」の場で滞りがないように、事前に徹底的に調整する。いかにも日本的・村社会的ですが、長い経験と実績を経て現在の形になったのだと思います。


この全協を徹底して否定する、という考え方もあります。全協は、人が見ていないところでコソコソ談合する、いわゆる under the table の印象を持つ人もいます。初出しの議案で構わない。堂々と本会議という衆目の場で、徹底的に議論する。決着しなければ何日でも何時間でも議論し、不出来な議案は遠慮なく否決する。そういう方法もアリです。


その場合は前もって終了日時を定めてはなりません。提出する議案は町が徹底的に磨き、議会のどんな攻撃にも耐えうる論理性と完成度が求められます。全協を否定するならそれが最低限の条件だと思います。


さて本題です。いまの町長はどうやら全協否定主義のようです。事前の地ならしなど必要ない。本会議で議論すればよい。程度に考えているようです。


かと言って本会議の期限を無制限にすることや、議案を徹底して磨いてくる、という誠実さは見受けられません。本会議にヘボい議案を平気で出す。小うるさい議員はどうせ数人。言わせておけばイイ。まったく中身のない抽象的で「やっています感」の答弁で閉会日まで乗り切る。閉会日が来たら採決でどうせ議案は通る。そんな感じでしょうか。議会もナメられたものです。


2020/11/30から定例会が始まります。町長は今回も全協を開くつもりはありません。しかしさすがに議会に怒られ、しぶしぶ11/26に全協を開くようです。


しかし新議員は任期開始前です。4年に一度の改選の年くらい、新議員を相手に全協を開き、12月定例会を少し後ろにずらす、という誠意も配慮もありません。


あと3日で引退する議員もいるメンバーで全協を開き、定例会は新議員で審理する。あきれたものです。町長はいったい何を考えているのでしょうか?





無投票になってしまう原因

無投票について。何が立候補者が少ない原因なのでしょうか。時間の制約が大きいと思います。平日昼間に開催される各種会議。農業、自営業者、年金生活者などに限られてしまいます。サラリーマンはそうたびたび仕事を休めません。しかし、町の人口のうち、現役世代の8割以上はサラリーマンです。


住民の民意を反映させる議会。その議会にサラリーマンは実質入れない。この矛盾をどう感じますか?全国には土日や夜間に会議を開催する地域が増えてきました。むしろ地域の会合やPTAではそれが普通です。松川町でも実現の可能性は十分にあります。


これに対する反論もあります。終了時刻が気になるなど「十分な議論ができない」というものです。確かにそのリスクはあります。百家争鳴、是々非々の議論がなければ議会の意味がありません。では、短時間で内容の濃い会議をすればいいのでは?それは不可能なのでしょうか。


巷では「ムダな会議を減らす」「短時間で会議を終わらせる」 ノウハウ本、ビジネス本が多数出版されています。私には事前の準備が最も大事、という信念があります。町は少なくとも3日前には議題を議員に提示する。議員は3日間で必死に研究する。調査する。試算する。データを集める。そうして会議に臨む。これが「できれば」かなり濃密な議論ができるはずです。


だからこそ、議員の資質が大事なのです。勉強しない議員。会議の時に初めて資料に目を通す議員。信念がなく発言しない議員。そんな議員ばかりでは夜間会議、休日会議への改革などできるはずもありません。今後も議会は農業、自営業者、年金生活者の指定席。サラリーマンには道を閉ざしたままです。



何をするにも強い理念を!

青年の家問題について。知らない方のために概略を説明します。私が現役議員のころの話なので5年くらい前の話です。青年の家は長年県営の施設でした。土地は松川町のものです。長年多くの人たちに利用されてきましたが、役目を終えたのでしょう。県は運営をやめることにしました。



県は松川町に聞いてきました。「県のお金で取り壊して更地にする予定だ」。「もし、松川町があの建物ほしいならあげる」。「取り壊し費用として確保していた予算XX億円もあげる」。この話を聞いて、町や議会、地元はどうしようかと考えました。長い時間をかけて議論しました。更地案は何も残りません。



広々とした町有の空き地ができるだけです。県からお金ももらえません。建物をもらう案は、その後の活用方法が問題です。閑古鳥が鳴く施設は維持費ばかりたれ流します。町や議会、地元などが散々考えた末「建物をもらう」案でまとまりました。一生懸命知恵をしぼって活用案を考えよう、ということです。



方向性が出たので、町は必死にアイディアをしぼりました。議会からもかなりの数の活用案を提示しました。しかし当時の町長はどの案も決定打に欠けると判断したのでしょう。具体的な案は着手されませんでした。



1年半前に着任した新しい町長は「取り壊してもらう」派です。長年積み重ねてきた「建物をもらう」案を真っ向から否定して、自分の意見を主張しています。町長なのだから、そういう主張もアリだと思います。しかし条件があります。長年の議論を根底からひっくり返す主張なので、確固とした活用案を説明すべきです。



多くの住民がそのビジョンに納得できるような説明の責任があります。さて、今の町長は、そのような理念があっての「取り壊してもらう」派なのでしょうか?彼のビジョンは全く聞こえてきません。議会だって町長にそれなりの活用案があれば審議に応じるはずです。しかし町長は「取り壊す」一辺倒で、更地になった後の案は何も聞こえてきません。活用案がなければ議会は当然反発します。



不思議なことに町長は「議会が自分をいじめる」と地元で騒いでいるとかいないとか。「取り壊し」世論作りのためにある地域の住民を集めて自分に賛成してくれと懇願したとかしないとか。何をやっているんでしょうか?