地方自治、いうなれば町の政治(=町政)は、私たちの生活に最も身近であるはずなのに、知らないこと・誤解していることが多い。前回では地方議員(例えば松川町の議員)に対する誤解がどうやって生まれるのかについて解説を試みた。
それにはまず「権力」を正しく理解する必要がある。権力とは「行政」を執行できるチカラのことだ。わかりやすく言えば、「住民(国民)に何かを従わせる・強制する」ことができる、ということだ。
住民から見れば、最高権力者はこの国では「首相」「知事」「町長」の3人だけだ。議会に「権力」はない。権力者を牽制する機能を持つに過ぎない、というところまで前回説明した。
さて、最高権力者である行政のトップはどうやって決めるのか。最高権力者は「国」「県」「町」と3人いる。あなたはその決め方の区別をご存じだろう。松川町行政のトップである最高権力者の「町長」は、一般「町民」の有権者が投票で決める。
県のトップの知事も同様に一般「県民」の有権者全員に投票する権利がある。あなたも投票したことがあるだろうから、「県」と「町」の最高権力者を決める力を「誰が」持っているのか、すでに理解していると思う。
しかし「国」の最高権力者である「首相」はどうだろうか。私たち一般国民の有権者には、首相を直接選ぶような投票の機会は「ない」。そもそも投票の権利がない。総理大臣の選挙に行って投票したことがある人はいないと思う。では誰がどうやって首相を決めるのか。ご存知の通り「国会議員」が投票で選ぶのだ。
国会には参議院と衆議院の2つがあるが「衆議院の優位性」という決まりがあり、実質的には「衆議院」の国会議員たちが首相を決める力を持っている。衆議院の人数は現在450人ほどだ。1億2千万の人口を抱える「日本の最高権力者」を決めるチカラは、たった450人が握っているのだ。
一般国民ではなく「国会議員」が首相を決める。1億2千万人の国民に何かを「強制させる・従わせる」最高権力を持つ総理大臣。この「行政トップ」を選ぶ作業(選挙)は僅か450人程で行われる。そのくらいの規模なのだ。
この「最高権力者を決める力」は、国の「国会議員」だけが持つチカラで、県の「県会議員」や、町の「町会議員」にはないチカラだ。この違いはとてつもなく大きい。そして「議員」に対する誤解を生む最大の要因だと私は思っている。
ポイントは有権者の数だ。松川町には1万以上の有権者がいる。長野県はおよそ170万人だ。しかし首相選挙の有権者はたったの450人ほど。野党の国会議員はよほどの事情がない限り、自分に投票してくれない。ということは自分がいる与党の国会議員230人前後が、実質的に自分を首相に選んでくれる大事な人(有権者)ということになる。
察しのいい方なら、もうお分かりだと思う。自分を支持して首相に選んでくれる230人ほどの与党の国会議員とは、できるだけいい関係を保ちたい。230人程度であれば顔や名前はもちろん経歴や性格、人脈や家族のことまでよく知っている仲になるのも難しくない。
一方、首相を選ぶ大事な一票を握っていると自覚した「与党の国会議員」はどのように振舞うだろうか。最高権力者である首相に対し「抜き差しならぬ」関係になることが多いだろう。中には清廉を貫く議員もいるだろうが、おおよそほとんどの与党国会議員は首相と「持ちつ持たれつ」の間柄になると簡単に予想がつく。
国会議員には「地元」がある。その地元から要請や陳情があったら、どう対応するだろうか。地元住民の頼みを無下にはできない。ぞんざいに扱えば「あいつは冷たい、地元のことを気にしていない」と悪評が立ち、自分の選挙に影響する。
例えば、地元に立派な国道が欲しいという住民の要望があったとする。国道を整備するのは行政の仕事だ。だから本来、住民は行政機関である国土交通省あたりに要望すればよいはずだ。しかし全国から同じような要望が一斉に来ても行政は困る。使える税金には限りがあるので、行政はおのずから優先順位を付けるようになる。
こうやって地域住民が、行政に真正面から正攻法で要望すれば、一向にラチがあがらず十年単位で待たされることもありうる。そこで行政の仕事とは本来「一切の関係がない」はずの地元選出かつ与党の国会議員が登場する。
行政の最高権力者である首相を選ぶチカラを持つのが与党の国会議員。彼に依頼すれば、利害関係がある首相(それは配下組織の各省庁行政機関をも意味する)にとても「強く」伝わるだろう。語弊があるかもしれないが「口添え」「口利き」といった行為が期待できる。この傾向は都市部よりも地方のほうが強いだろう。
よく考えてみると国会議員とは国のかじ取りを託した人たちだ。しかし現実には地元要望の「有力なパイプ役」という極めてローカルな、しかも隠然たるチカラを持つと考えるのが自然だ。私はその良し悪しを断ずるつもりはない。背景はどうあれ、実際にそういう現実が目の前にあるだけだ。
私がかつて「国会議員にはチカラがある」と何となくボンヤリ感じていたのは、そういう事実があると認識していたし、おそらく多くの人(住民・国民)も似たような感覚なのだろうと思う。
(はこべ2023年8月号掲載。次号に続く)