国政だろうと地方政治だろうと投票率は低下の一途だ。資質の低い政治家の醜態が原因だろうか?それとも関心のない有権者に原因があるのか?この問題はどちらが先なのだろうか?
有権者が立候補者の「能力、資質」を真剣に見極めようとせず、「頼まれたから」「知り合いだから」「二世だから」などのような判断レベルで、大事な投票権を行使する。その結果生まれた議員や政治家が、大した仕事をしない。挙句の果てには不祥事などを起こす。
こうした事態を見聞きして、多くの有権者は憤慨して呆れる。そうして「議員を辞職しろ」だの「警察が逮捕しろ」などと騒ぎ出す。何のことはない。そんなことしなくても、次回の選挙で落選させればよいだけの話だ。政治家は落選すればただの人。住民の代表者としての一切の権限を剥奪される。
しかし不思議なものだ。なぜかそうはならず、次の選挙でもしっかり当選する政治家は多い。有権者は議員の無能ぶりや過去の不祥事をきれいに忘れてしまうようだ。そしてまた「お願いします」と言われたから、「握手したから」程度の動機で、その候補者に投票してしまうようである。
政治レベルの低下と堕落も、住民の政治への無関心と投票率の低下も、明らかに有権者自身が招いたと私は考えている。厳しいようだが自業自得だ。有権者が「厳しい目で候補者の能力と資質を見極める」作業を怠るから、政治家は堕落していくのだろう。彼らは「有権者はバカだから」どうせすぐ忘れる、どうせ次の選挙でも勝てるとタカをくくっているのかもしれない。
あなたは反論するだろう。候補者を見極めたくても情報がない。最近の政治家は有権者一人ひとりと対話をしなくなった。だから判断のしようがない、と言いたいのではないだろうか。
しかし憲法12条には、民主主義を守るために有権者は不断の努力をしなければならない、とある。立候補者が対話しなくなったと憤る有権者は、この条文をどう捉えているのだろうか。
投票の判断のために、立候補者の情報を積極的に集めて調べるのは「有権者の仕事」だ。候補者は票が欲しい。だから彼らは必死にアプローチして、場合によっては美辞麗句を並べてあなたの気を引こうとする。しかしそんなキレイごとを鵜呑みにして全面的に信用してしまう有権者はそう多くはないだろう。
ある意味で、商品を買って欲しい企業のコマーシャルと似ている面がある。消費者は広告やCMをうのみにせず、知人の評判を聞いたり、ネットで口コミを調べたり、試供品を使ってみたりするだろう。商品に対価を払う価値があるのか非常に厳しく審査している。そういうチェック能力が選挙のときになぜ機能しないのか不思議でならない。
「最近の候補者は有権者と対話がない」という批判について論じたい。では聞く。候補者はどうすれば良いのか。例えば松川町の有権者約1万人に一軒一軒歩いて話を聞けばよいのか。移動と対話に1件1時間として、1万人と対話するのに必要な年月をあなたはすぐに計算できるだろうし、それが現実的に可能かどうかの判断もできるだろう。
候補者によっては、イベントを開いて持論を展開したり、ネット、SNS、動画などで発信している者もいる。あなたはそのようなイベントに積極的に参加しているのだろうか。忙しくとも時間を見つけて、本人が発信するネットの情報に目を通しているのだろうか。例えば松川町では議会の様子をYouTubeで公開している。会議での発言や質疑を聞いて吟味するだけでも、その議員の資質を把握できることは多いはずだ。
今一度確認したい。「最近の候補者は有権者と対話がない」という批判は、実のところ「最近の候補者は『このオレ様』と対話がない」のすり替えではないことを祈る。「このオレ様」がヒマなときに「このオレ様」の自宅に候補者が来て、話し相手になれば満足なのだろうか。
そんなことは私の勘違いに決まっている。オレは町の大御所でVIPだと自分を特別視するような不遜な有権者などいるはずがない。民主主義の根幹である平等と公平を真っ向から否定するような「特別な存在」などあってはならない。
選挙で勝ちたい、当選したいのなら「立候補者の方から対話しに来るべきだ」という有権者の傲慢さ。やはり間違っているような気がする。大事な投票の権利を有益に使うために「有権者の方から立候補者を調べに行くべきだ」という姿こそ、結果的に良い政治家を生み育てると考える。
政治家は住民の代表だ。だからこそ住民の思いや感情に通じていなければならない。たしかに、住民の気持ちを知るには「対話する」ことも一つの方法には違いない。それを軽んじるつもりはないが、絶対視するのはどうかと思う。理屈上で言えば、村民数百人など、よほど人口の少ない自治体を除けば、立候補者がすべての有権者と対話することは現実的に不可能だ。
政治家には「住民の気持ちを理解できる」人物が望ましいと誰しもが願うだろう。しかし住民も一人ひとり異なる事情と背景と感情を持っている。私たち有権者はどうやって政治家の「住民の代表」能力を確認すればよいのか。憲法12条を読んで考えてみてほしいと思う。それが民主社会の第一歩ではないのだろうか。
(次号へ続く)